徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

「形から入る」に感じること

ヒップホップをする人で、スマートな格好をしている人は少ない。ほぼいない。大体が股下をギリギリまで下げたズボンを履いて、ダボつかせたパーカーにツバが一直線よ帽子かぶっている。ジャケパンにネクタイを締めて、ヒップホップ特有の重低音に乗せてライミングしてる人なんていない。

ヒップホップはアンダーグラウンド発祥であるからして、それに習って皆さんダボダボさせているらしい。オリジンに右習えをするあたりの忠実さに好感を抱く。


形って大事なんだなぁって思う。力士の髷しかり、ミュージシャンのロン毛しかり。

ただ、個人的に、至極個人的に、形から入りたくない気持ちがとても強い。

見た目の部分はまぁよしとしよう。問題は道具だ。

例えば、ギターを始めるに当たって、自分にプレッシャーをかけたいからって高いギターを買う人がいる。何万もかけて買ったんだから続けるだろうと。自己投資して奮い立たせる。


正直、あの行為はなんの意味もなさないと思う。愚かしいとすら思う。


まず、技術や知識がないと価値がわからない。お金というわかりやすい単位で取引されているから、なんとなく高いものはいいものだって神話がまかり通っているが、絶対の指標ではない。

高いトレーニング機器がダイエットに効くとも限らないし、高いギターがいい音を奏でるとも限らない。いや、圧倒的に良いものが多いんだけれど、その本当の価値を知らないまま良いものを使うことになる。なにしろ知識も技術もないから。


仮に値段通りの素晴らしい価値のあるモノを購入したとしても、その効果を引き出せない。当たり前だけど。

陸上現役当時、お世話になった理学療法士さんに聞いた話が心に残っている。

走る上で必要な筋肉は多々ある。ハムストリングをはじめとする太もも周り、臀筋、ヒラメ筋、etcetc。

それらが関わりあってパワーを生むのだけれど、どの筋肉がどれだけスペシャルなパワーを持っていたとて、一番弱い筋肉を基準にして力が伝わって行くらしい。

ある程度は他の強い筋肉で使えていない筋肉の機能を補えるが、それにも限界があり。バランス良く鍛えていかなければロスが大きい。

モノと技術・知識の関係もそれと同じだと思う。

身近からアコギで例えると、奏者の技術、ギター自体のポテンシャル、張っている弦の良し悪し。この三つがおおよそアコギの構成要素である。どれかが著しく劣ってしまうと、その程度の音しかならない。

どんなに技術のある人が、一流のギターを弾いたとて、弦が二束三文かつ使い古しであれば、ボロボロ安物の音が鳴る。

関わる要素が増えれば増えるほど一流であることは難しくなるし、モノの価値で補えなくなる。アコギにしても、弾き語りをしようって言って歌なんて要素が入ってくるとまたややこしくなるだろう。


身の丈にあったものを…という日本語があるが、本当に的を得た言葉だと思う。ダボついても足りなくても行けない。身体の丈に合わないことには使いこなせないのだ。

最近心から字が上手くなりたいなって感じている。でも、決して良いボールペンとか買わない。なにしろ形から入らないですから。しかし努力もしない。結局何もしない。そんな体たらくで世の中を儚む自分に喝を入れてやりたい。