徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

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不便慣れ

部屋の廊下の電気が切れた。黄色がかった柔らかい電気だったのだが、つかなくなった。

つかないと困る。結構困る。食器洗いも若干暗ければ、洗面所もほの暗い。ただいまって帰ってきて、明かりがつかないのは寂しかったりする。けど、玄関の明かりはつく。逆に、食器洗いの上の電気もつくし、洗面所もつくのだ。廊下のメイン電機以外はいたって正常に機能している。

これまでの傾向からして、うちの廊下の電気が付くのは遥か先の話だと思う。不便が何かでごまかせると、まぁ、いいやってなる。

普通が便利になるアンテナも低い。現状で満足してしまう。わかっている、わかっているんだ。現状は基本的に下がり続ける。部屋は汚くなり続けるし、ゴミはたまるし、電機は消耗する。でも、ゆっくりゆっくり下っているからわからない。それでいいやって思い続けたら、気づけばとんでもなく低い生活水準で満足していることになりかねない。電気全部つかないけど懐中電灯あるからいいやみたいな。人によったら、このテレビのない部屋すらあり得ないだろう。別に動画とか常時ついてる必要ないって境地も、言ってしまえば下る生活水準への許容であり、諦めであり、慣れだ。

無いなら無いなりに。戦後日本を動かした精神は、現代には若干そぐわないかもしれない。消費を活性化したいと願う世のお偉いさんたちや、彼らの指先から出ている糸で踊っている我々末端商人たちは、ものを買ってもらってなんぼ、皆様の生活が豊かになってなんぼなのだ。

人に消費を要求して、自分が倹しすぎる生活を送るのはよくないかもしれない。本当ならテレビも電気もなんなら今剥き出しのふとんを収納するなんらかの術も買い足すべきなのかもしれない。

明日あたり買いに行くか。いや、行かないだろうな。自分のアンテナが向いている方の諸々をより便利にする方が、不便を普通にするよりよほど健康的だ。精神的に。自分は自分なりのやり方で、経済に与します。