徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

中秋の名月

今日は本当に月が綺麗だ。雲が程よくあって、月が見え隠れする。隠れているときは雲がほのかに明るく、出たら出たで名月である。平安時代はもっと月が大きく見えたらしい。今や5円玉の丸に収まってしまう月も、当時はもっと迫力があったのだろう。そんな満月も見てみたかった。

普段あまり気にしないことを、突然気にすることがあまり好きじゃなかった。どういうことか。例えば終戦の日でもいい。普段全く戦争について考えないのに、この日だけ戦争について語ったところでものすごい薄っぺらい気がしてしまう。

月だってそうだ。いつも何らかの形でそこにあるのに、中秋の名月だからって言って突然月月言うのは筋が違うんじゃないか。いわば極端なミーハー嫌悪をしていた。

最近は大分軟派になってきた。まぁいいじゃないか。むしろいつも気にかけていないなら、一日くらい真剣にそいつと向き合う日が合ったって、いいじゃないか。終戦の日も、普段何も考えていないからこそ、その日こそはしっかり戦争とは、命とは、考えてみようと。中秋の名月も、普段目を向けていないからこそ、今宵はしっかり見てやろうと。

良いものはいい。まぎれもない事実だし、主観だから誰の文句も受け付けようがない。のんびりぼやーっと月を見上げたら、諸々の主張も角が取れて丸く収まって行く気がした。潮の満ち引きやサンゴの産卵を司る月にしてみれば、何が好きで誰が嫌いかなんて微々微の微だ。びびびのび。まあるい生きてやろうじゃないか。今日くらい。明日くらい。