徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

新聞を取り出して一か月目で感じること

先月から日経新聞を取り出した。ビジネス界のバイブルと称され、絶大な信頼を得続けている新聞。月4500円ほどの出費と引き換えに世の中の流れを知ろう。

そもそも家にテレビが常設されなくなってから、世間で何が起こっているのかにものすごく疎くなっていた。ヤフーニュースをそこまでチェックするわけでもなく、ラジオからは雰囲気のいい洋楽とラジオドラマと曲名も作曲者もわからないクラシックが流れるだけ。そりゃ分らなくもなるわ。

このままでは何かものすごく大きな損失を招くんじゃないかと。近い将来後悔するんじゃないかと、思ったわけです。軸足を嘘でも仕事に置いていて、それも都会で商売をしているなかで、経済の動きも企業の動きも知らずにいていいのかと。いや、ダメだ。もっとアンテナを高く、パラボラを大きく、しなければ。

さて、そうして一か月経ちました。感じたことを羅列していきます。

思ったよりわかりやすい

 

日経新聞って、どんなに小難しいことが書かれているのかと思っていたが、そうでもない。比較的わかりやすい。情報浦島になっていた九月一日までの自分でも、すんなりと読めた。なにしろ全国紙である。人気もある。作りもしっかりしているのだろう。要約を読めばなんとなく物事の流れを掴めるような作りになっている。だから、初めて耳にする事柄でもそれなりに飲み込めて、今どの段階で揉めているのかを知れる。

ご丁寧にも、一面の話題を何度も反芻するかのように三面五面で扱ってくれるので、流し読みでも復習するかのように読める。

毎日の流し読みが三日坊主の精読を超える

 

新聞を馬鹿真面目に精読しようと思ったら時間が足りないことを知った。斜め読みバンザイ。上滑りバンザイ。見出しだけ読みオーライ。どうせ明日も同じ分量で新聞が入ってくるのだ。記者が束になって攻め込んできているというのにこちらが一人で丁寧に精読したって敵いっこない。明日に回せることは明日に回す。明日の学びは明日の学び。今日と明日がつながっている限り、問題も話題も繋がって行く。ふーん。へぇー。くらいの関心を半年続けたらなんとなく事情通になれている気がしている。

正直の大切さ

 

読み始めた時期が時期だからだろうが、正直さを考えさせられる。紙面では東芝の問題・VWの問題が踊りまくっている。朝夕限らず踊る。規模や責任が大きくなればなるほど、正直さと素直さが求められる世の中らしい。こんなにも学術的に研究されて、テクノロジーも進歩した世の中での商いが行き着く先が、人間性。体面を保ちたい欲や羞恥心を避けたい欲を真正面から受け止めて、私ダメでした!って言える人間こそ求められているのかもしれない。もちろん、反省を活かせる前提で。

不安に突き動かされる人間

 

こんな姿も見える。

中国経済がどうなることやら。日銀の金融緩和の是非がどうやら。株を取引きして向けている方々は四六時中目を光らせている。ちょっとでも不審な動きがあれば売る。ちょっとでも追い風が吹きそうなら買う。

どうやらもっともデイトレーダーたちが怖がるのは、行政の動きらしい。国の根っこの連中が経済に関与してくると、これは雲行きが不穏なんじゃないかって、突然売りに走る。彼らの抱える心情は不安以外の何物でもない。しかし、不安な彼らが株や証券を動かすことによって国や企業が評価される。

どれだけ大衆を安心させることができるか。安心感。これぞうまく行くためのメソッドなんじゃないかと感じた。方法論はまだわからない。

 

薄給を押して新聞をというのは最初気が引けたが、取り出してみるといいものだった。通勤時間に読み、帰りに捨てる。電子版だと資源は節約になるが、公私混同に近い何かになってしまいそうで避けた。娯楽に逃げるさまが火を見るよりも明らかに想像できてしまった。この判断は間違っていなかっただろう。ルーティンの中に新聞を何の不自由もなく溶け込ませられた。

テレビ見てた方が噛み砕いて教えてくれるからいいかもしれない。けど、読むという能動を通して、ワイドショーほど流動食化していない情報に触れるのも、自らの消化力を鍛えるためにもいいんじゃないか。

一か月目の感想でした。

 

去年の今頃

 

ktaroootnk.hatenablog.com

 

 

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暇さと決意。

全曲解説は暇がなせる業だ。そのうちまたやる。TENで。

そして決意の延長線上に今がある。確かに仕事に焦点が合っていて、わからないことも多々あるが、まぁなんだ、案ずるより産むが容易しである。何ともならないこともあるけど何とかなることも等しくある。こうしてまだ文章書きながら、音楽やりながら生活できている現状は素敵なことだ。