いつかは起こることにリスクマネージメントをしない愚かさったらない。
東京都では、9月1日の防災の日に合わせて全世帯に防災マップを配り、来たる大震災やもしものテロを視野に入れた行動指針を示した。立派だ。政に文句ばっかり垂れるのが民じゃない。評価もする。あの政策はグッジョブだろう。
個人レベルでもたくさんリスクは背負っている。家の鍵、自転車の鍵を裸で持ち歩いている人は少なかろう。キーホルダーないしキーケースに入れている人がマジョリティのはずだ。なにせ、失くすから。鍵なんて2Dから生まれて来たような平べったい代物を、おいそれとカバンに入れた日にはどこいったかわからなくなる。キーホルダー、キーケースもリスクマネージメントである。
今朝、テーブルに座ってギターを弾いていた。いつもの光景だ。我が家を定点カメラで観察している人がいたとして、確実にそいつがまたかよ…ってツイートするであろう光景。
ギターを弾いていると、時空が簡単にゆがむ。5分しか経ってないはずが、15分進んでいるなんてザラだ。朝の15分は大きい。起床から出発までを達成出来てしまう時間。夜のぐだぐだの15分とは密度も意味合いも異なってくる。
だから時計をマメに見る。リスク回避である。取り返しのつかない時空にトリップする前に、こっちの世界に戻ってこなければならない。
今日も後ろ手に時計を探した。テーブルに腰をかけている状態からして、後ろ手になってしまうのは致し方ない。ものぐさと言われたって。仕方ない。
何かが倒れた。陶器が倒れた音がした。
我が家のテーブルには、いつかのグアム旅行で買ったアロマが置いてある。アロマオイルが溜まった瓶に、お香の棒のようなそれが刺さっている形のものだ。香り指数としてはほぼ香らない代物。インテリアでしかなくなっていた代物。
棒が陶器から飛び出ている形状である。棒をチョップしたら陶器が倒れ、アロマの決壊が起こることはそこに置いたときから気づいていた。知っていた。だが、注意すれば大丈夫だと思っていた。気をつけさえすれば、そんなミスしないだろうと。
背中に目はない。寄生獣のミギーでもなしに、手に目もない。見えなければ、注意もできない。
アロマが倒れた。オイルが海を作った。香りが洪水を起こした。
しかも朝である。15分が惜しい朝に、ギターを弾くなんて余計なことをした挙句のトラブルである。
香りはキツい。ほのかだと素敵でも、ちょっと濃くなるだけで素敵の閾値を軽々と越えていく。リラクゼーションは簡単に毒となる。
それ以上に問題はテーブルの上で横転した事実だった。テーブルの上に何も乗っていないほど整った部屋には住んでいない。一般的な一人暮らし男性の部屋程度には物があり、机の上も散らかっている。
そんな彼奴等が油まみれになった。USB、通帳、払込書。なんでそんな物を机の上に乗せておくかね。日頃の自分を叱責したい。
雑巾で拭いた。それしかできない。テーブルも床もすべすべになった。アロマの香りが部屋を包んだ。転んでもただでは起きないぞっ!って、転がした結果がどぎつい香りとスリッピーな床である。いたたまれない。
いつもより二本遅い電車に乗って出勤する。駅から会社まで走れば間に合う。
アロマの置き場、後ろ手の危うさ。幾つもリスクがあり、リスクがあるということは回避することも出来たわけだ。地雷だらけの危険地帯をノーガードで突っ走った先の木っ端微塵である。笑え、笑うがいい定点カメラ。
一つ一つを訓えとし、賢く生きてまいります。