徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

始まりの夜、終わりの夜

なぁサラリーマンよ。なぁ学生よ。今の気持ちはどうだ。休みが終わる、仕事が学校が始まる、そう思ってやしないか。そうだろう。三連休なんていうわかりやすいパラダイスを満喫し、何の憂鬱もないサザエさんを見た諸君は、明日から勤労感謝の日まで再開されるウイークデイの嵐に慄いているに違いない。

丸3日前の夜を思い出してほしい。金曜の夜を諸君はどう感じていたか。まるでどこまでも飛んで行ける空を前にしているような、なんでもできる自由を感じていただろう。デスクや勉強机に向かう日々から少し離れて、羽を伸ばす準備をしていただろう。

太陽や月にしてみりゃ、どちらも同じ夜である。淡々と何十億年も刻んできたリズムのなかの一拍に過ぎない。人間たちが拍子を勝手につけ、自らを縛り上げてきた結果、たまたま三連休なんて概念が生まれ、それを前にして一喜、去り際に一憂。身勝手なものである。

天体が繰り返す同じ夜を、人間がどう捉えるか。とても重要なことだ。日曜日と木曜日に人生を投げ捨てる人が多いと聞くが、それは同じ日々に付けられた拍子に翻弄され、憂鬱に押しつぶされてしまっているためでもあろう。たかだか人間が決めたルールである。人間である我々がそいつに食われてどうする。できるなら限りなく前向きに捉えたい。なんなら、すべてを幸せの始まりだと受け取れれば、人生バラ色夢の苑。至福である。

今日なんて絶望の淵から50歩手前くらいの落胆を味わっている日も、次の休みの序章であり、助走だと考える。そんな余裕を持ちたい。

すべての休みの終わりを次の休みの始まりに。

あぁ、さらばホリデイ