徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

Billy Joel "piano man"

なまじっか音楽が好きだから、通勤や休み時間など、暇があるときは何かしら聴いている。その時の気分、疲れ具合、直前にあった出来事。諸々を踏まえて、そのとき聴く音楽を決める。
ウォークマンの中には思春期を共にした曲たちや、これから聴いていこうと思っている曲たちが山ほど詰まっている。容量限界ギリギリまで使っているけれど、どの曲一つも削除するのが憚られる曲たちだ。
今日、むしろたった今、たまたまビリージョエルを聴こうかなという気になった。普段はそこまで聴きはしない。ピアノ弾き語りのミュージシャンの中では、ずっとエルトンジョンが好きで、2番手3番手にいたのがビリージョエルだった。父親がビリージョエルの「ニューヨークの想い」のファンで、弾いたらものすごく喜ぶのだが、実はエルトンジョンの方が好きだった。
たかだかベスト盤と、ツタヤで300円で投げ売られていたオリジナルアルバム1枚持っているだけのビリージョエル。しかし、無性にあの毒気のない声とメロディが聴きたくなった。
ビリージョエルといえばピアノマンだ。確かにニューヨークの想いもいい。しかし、代表曲はどうしたってピアノマン。再生を押した。
ポロポロとキレのいいピアノのイントロが流れる。ちゃんと練習しないとこんな歯切れのいい音にならないんだよなぁなんて思いながら、ハーモニカの音を待つ。
牧歌的なハーモニカが鳴る。ワルツが始まる。
大して疲れているわけでもないし、世を儚んでいるわけでもない。ストレスも感じるほど溜まってなんかいなければイライラだってしていない。いたって普通の状態の心に、すぅーっと曲が入ってきた。ずっと待っていたテトリスの長い棒が倍の長さで降りてきて、それまでの積み上げてきたブロックが全部消えたような。瞬きをしないで待ち続けた目に、涙と全く同じ成分の雨が落ちてきたような。心の凹凸にぴたっとピアノマンがはまった。駅のホームで鳥肌が立ち続けた。
歌詞の意味も大して知らない。バーでピアノを弾くピアノマンの物語だったか、それを取り巻く人の物語だったか。わからないけど、ワルツのリズムとピアノの音色、ハーモニカの音にビリージョエルの声。全部が完成されているように感じた。
よくもまぁこんなメロディーが出てきたものだなぁと、名メロディの曲を聴くたびに思うのだが、ピアノマンに関してはメロディーの流れが美しすぎて、クラシックの有名曲を聴いているかのような気分だ。一つの違和感も感じずに耳に入ってくる。
聴いてね!とか、いい曲だよ!とか、言いたいけれども、今回ばかりは至極個人的なニーズにとてつもなくマッチしただけのことかもしれないから、特に強くは勧めようとは思わない。
これからしばらく、聴く曲に迷ったときにはピアノマンを選んでしまう気がする。