徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

日中は眠くなかった

最近飲み会が多い。週の半分が誰かとどこかの居酒屋でわいわいしている。非常に楽しい。楽しいが、やはり負担も大きい。

睡眠である。

飲み会は確実に夜訪れる。仕事の疲れをいやすため、近況報告をするため、なんかとりあえず飲みたいため。どの場合だろうと夜がふさわしいという、あと何世紀かは揺るがないであろう固定観念がある。

するとだ、犠牲になるのはもちろんのお金と睡眠時間である。昨日飲み会だったから明日出勤を一時間遅らせまーす。なんて戯言のたまわった日にはビッグサンダーマウンテンが頭上に落下するに違いない。ノージョブノーライフ。どうしても睡眠時間を削らざるを得ない。

父168㎝、母157㎝の間に生まれた185㎝の私の成長の原動力の一つとして、睡眠が間違いなくある。月曜日の世界丸見えを見てからすぐ寝ていた小学生時代。小学5年生になって、初めて夜10時から始まるスマップスマップを見た時には、イケナイことをしている気がしてならなかった。あの背徳感は記憶に新しい。

大人になって、ある程度ラフな睡眠で許される体になったとて、三つ子の魂が百まで続くのならば、私は今もなお大睡眠少年である。睡眠を欲している。やはり7時間は寝たい。6時間を切ってしまうとなかなかしんどい。あまり経験したくないまぶたの重たさと意識の遠さがやってくる。

ただ、最近一概にもそうは言えないのだと学んでいる。短時間睡眠でも嫌にすっきりしている朝があるのだ。今日がそうだ。昨日2時に寝て、朝6時過ぎに何故か目が覚めたが、ぶっちぎりのすがすがしさだった。自らの体に何が起こっているのか全く分からない。

良くいう、90分サイクルだろうか。レム睡眠とノンレム睡眠が往来する時間が丁度90分であるため、90分の倍数時間で起きるとすがすがしいという。でも、6時間と7時間の睡眠で6時間の方がすっきりした覚えはない。7時間の方が幸せである。

寝不足になりえる日々の中、一つの仮説が立った。90分ルールは、ぼーっとする時間を残すためのそれなのではないか。別に90分周期じゃなくてもいいのではないか。

5時間しか寝られないとして、5時間フルに寝てぱっと起きるよりは4時間半寝て30分ごろごろした方がいいよ。みたいな。3時間しか寝られないとしても、2時間45分くらいぐっすり寝て、15分ごろごろしてみたらどうなの、心の準備が起床に向かうよ。みたいな。そんな程度の話なんじゃないか。

今日は確かに4時間ちょっとしか寝られていないが、起きてからの微睡を有効活用できた気はする。眠いが寝ない、寝たいが起きたい。起きねばならない。起床への思考階段をうまく登りつめられた。よかった。

しかし、寝られるものなら毎日7時間寝たいのが本音なわけで。寝不足になったらどんなにその日すっきりしていても睡眠をとりえしたくなるわけで。

今日はぐっすり眠りをむさぼろうと思う。