徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

友人が編集する雑誌に寄稿した記事を転載する

病院に行こうとする朝。何も手につかない。アワアワしている。

何か書こう、何か書いて落ち着こう。しかし、手に何もつかなければ、頭にも何一つつきやしない。あ、そういえば、この間スペインに留学に行ってしまった友人が、フリーペーパーを作ったのだった。

これだ。

Lamadrugada #4 by Keisuke Shibata

殊勝なことである。写真も撮れば文章も書くハイブリット人間だからこそ成し得る技だ。小学生の頃、図画工作で3よりいい成績を取った覚えのない人間からすると、雲の上の、太陽の向こうの、銀河の果ての存在である。

せっせかと文章を書くしか能のない僕だが、逆手にとれば文章なら書けるわけで、寄稿してよって言われたら二つ返事の高速レスポンスをかましている。

今回は、「女」というテーマで書いてよ!と言われた。自分なりに考え抜いた「女」への思いを、どうか受け取ってください。

では、どうぞ。

 

 

「おんな」について

 

「女」。「おんな」。

「おんな」という響きは、実にたおやかである。呼吸のできる海中にたゆたっているような、落下しない空中に浮遊しているような響きだ。安心感を感じるとともに、やはり、魅力的である。艶めかしいと言ってもいい。男にはない、曲線美を感じる。

「おんな」を分解してみる。「お」「ん」「な」。o n na。

「おんな」という言葉には、破裂音が含まれない。カ行、タ行のような舌を強くはじくような音もなければ、サ行、ヤ行のような息を強く履く音もない。

ひたすらに柔らかい。

そもそも「お」には言葉を柔らかくする効果がある。言葉のオブラートが「お」。お肉、お尻、お箸。丁寧語には必ずついて回るのが「お」だ。例えば「でん」という言葉がある。「伝」でもあり、「電」でもあり、「殿」でもある。固い言葉だ。伝統、電気、殿下。ここに「お」が付くだけで、「おでん」である。途端に暖かい。途端にほくほくする。「お」ぶらーとの力だ。

さらに、「お」の後に「ん」が続く。「おん」の完成だ。「おん」は暖かい。「温」、「恩」、「穏」。暖かく穏やかな恩人の「おん」だ。唯一、「怨」だけが暗いイメージだが、「怨」の読みは本来「えん」である。映画の呪怨や怨霊のおかげで「おん」の読みが定着しているが。根本的に暖かい響きなのだ。「おん」は。

「おんな」の女性性を決定づけているのが、最後の「な」だと思う。「おん」までの暖かさを保ったまま、「な」である種の色っぽさを醸し出している。「な」は鼻にかかる音だ。英語表記で「na」であるからして、前に小さな「ん」が付く。「おんな」の場合はすでに「ん」が「な」の前に組み込まれており、さらに重ねての「na」である。「n」の持つ響きは原始的だ。赤子が黙っていても発せる言葉が「ん」であるように、生命が高度に活動し始める前の、産まれ、育ち、生み、育み、死んでいくサイクルを何度も繰り返していたころの響きだ。性にりっしんべんが付く前の生を感じる。「音波」「温度」「恩赦」「温故」と、「おん」から始まる言葉はたくさんあれども、「おんな」のもつ響きにはかなわない。「おん」があり、「な」がある。この組み合わせでなければ「おんな」のもつ女性性は生まれ得ない。

 

レディーでも、ガールでも、フィメールでもない、「おんな」。女性の造形、女性の女性たるゆえんをここまで的確に音で現している日本語が好きだ。そして何より、「おんな」という響きが好きだし、「おんな」である女性が好きだ。

女性と男性が対になって世を発展させていけと、何億年も続いてきた命令に乗っ取って生きねばならない平成の世の中である。DNAの螺旋に書き記されたとおり、女性を追い、女性に悩み、女性に笑う。逃れようのない使命を、「おんな」という響きに課されていることを、幸せに思う。