徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

「鬱」を科学する

ひとえに、今鬱々としているわけだ。仕事がもう回らないこと回らないこと。上司からブン投げられる仕事と、自ら電話を取った所為で呼び寄せる仕事と、ルーティンワークと、営業から投げられてくる仕事とで、四次元ポケットがいっぱいなのだ。

あーもうやだ!あーもう冬眠したい!熊になりたい!貝になりたい!そうだ!次の世は貝になりたい!
こんな気持ちを表しているのが、鬱という文字である。
「鬱」の字面の本質のつき方は群を抜いている。鬱はすっきりなどしていない。鬱はごちゃごちゃしている。そして鬱は不安定だ。鬱々とした状態ではなにもはかどりはしない。それを一言、いや、一文字、「鬱」と表す妙義。鬱々しさも吹っ飛ぶ。天晴れである。
分解してみよう。
まず、冠というのだろうか、上の部分を考える。
木と木の間に、缶が挟まっている。不思議である。缶がなかったら林。しかし、間に缶がある。想像してみてほしい。茂る木々。空はそうだな、曇天だろう。よくわからない鳥の鳴き声が響く、薄暗い林。その中に、缶が一つ。何故あるのか、いつからあるのかわからない缶が置いてあるのだ。
不気味だ。気味が悪い。うすら寒いフィーリングが、冠として乗っている。根っからの楽天家や、幸せの絶頂時に、この冠を作り出せる人間はいないだろう。きっと鬱を作った人も鬱々しい気分の時に漢字作成したに違いない。
さて、下に目を向ける。不気味な林の下には、「冖」で囲われたごちゃごちゃがある。
「必」の省略文字が、箱に入っている。これは「必」と読んでいいのだろうか。否、きっと違う。こいつは凶のパワーアップバージョンだ。凶という漢字を使うだけでは表しきれない不幸に浸り、業を背負った状態。それが箱入りの「必」である。従えるは、カタカナの「ヒ」。卑怯のヒ、卑屈のヒ、ヒ素のヒ。魔女の笑い声を想像してみてほしい。ヒヒヒ。
おどろおどろしすぎる。おどろおどろしい上に、「鬱」のバランスの悪さを司っているのが、この「ヒ」だ。ヒが下部に配置される漢字を、僕は鬱以外に知らない。見聞が狭かろうと広かろうと、知らない。滅多に無さが、バランスの悪さを助長している。
そして止めの三本線。最初に出てきた林が、下にも侵食してきている様が見受けられる。蔦のような、ジメジメした木々が、スペシャルな凶とヒにまとわりついている。

ビジュアルが与える印象といい、解釈していくとわかる意味合いといい、「鬱」には鬱が詰まっている。「鬱」は鬱以外の「鬱」ではありえず、鬱としてのみ存在し得る。
これほどまでに「鬱」は鬱でいてくれるのだ。自らの鬱々とした感情なんて、「鬱」に比べればなんてことはないのだ。明後日あたりには鬱々からおさらばしている身と、生まれてから鬱と切っては切れない「鬱」。勝負アリだ。
こうしてまた、少し前向きに生きようと、思えるわけだ。