徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

僕たちの字が汚い理由

何故、これほどまでに字が汚いのだろうか。いつから、僕の字は整うことを忘れたのだろうか。丁寧に書こうが、流れるように書こうが、読みにくい字とのレッテルを貼られる。
思えば、小学校二年生の時、隣のお友達と交換あって採点するテストで、数字の9を4に間違えられたところから、自覚症状を覚えだした。人の目からも僕の字は踊り狂ってたようで、通信簿の「綺麗で丁寧な字が書ける」の項目に優秀な成績がつくことはなかった。
社会人になり、人前で字を書くことが増えた。文字上でしかやり取りをしない人もいる。果たして、文面の向こうの人は、僕という人間をどう捉えているだろうか。最新の注意を払って書いた字だとて、相手にどう伝わっているやら知らない。人間性が字に現れるなら、僕の人間性なんて徳とは対極に位置している。そんなやつだと思われているのだろうか。半生に後悔しか抱けない。
上手くなくとも、整った字を書く人がたくさんいる。癖があっても読みやすい字を書ける人こそ、大人だ。僕にはそれすらできない。癖は読みにくく、きちっと書こうとて歪な形にしかならない。
僕の字の症状をつらつらと書き上げようと思う。
まっすぐな線が引けない
1つの文字の中でのバランスの取り方がわからない
文字と文字のと間隔が上手く取れない
人の文字を模写しようと思っても思い通りの文字が書けない
以上が主要症状である。
おそらく、直線をかけたなら劇的に文字の整然さは増すだろう。わかってはいる。だがゆっくり丁寧に書けば書くほど、直線は歪み曲線は震える。必要以上の長さになってしまったり、曲がり足りなかったりしてしまう。
思い切って線を引いてしまった方が、まとまった文字を書けるために、ガツガツザクザクと文字を錬成する。線の震えは治まるが、今度は文字が空中分解を始める。ある線は右上に。ある線は左下に。平行を忘れた線たちは文字の体裁をギリギリとどめた美しくもない模様と化す。
それでも、全部の文字が模様になるわけではない。得意な文字はある。例えば「東京」。理由はわからないが、とても書きやすい。文字自体のバランスが取りやすいのだと思う。上手くはなくとも、読みやすく書けている自信がある。しかし「都」この一文字が入ることにより、状況が一変する。「東京」と「都」のバランスの取り方がわからないのだ。1つの文字では上手くまとめられても、組み合わさるとダメになる。
誰かの文字を模写すれど、絵が苦手な僕にはどうしようもない。目からの情報入力と、手への出力が上手く噛み合わないのだ。スヌーピーを見てスヌーピーが書けない男に、文字を見て文字を真似しろというのは酷だ。
どうだろうか、同じような症状の人はいるだろうか。上手く書けない文字。胸を張れない世間体。肩身狭い思いをしている我々はどうしたら生きやすくなるのだろうか。
慢性的な汚い字を矯正する手立てを知りたい。努力はするから。毎日の筆記の中で、気にすることは気にするから。