徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

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それでも僕はお腹痛い

健康とお金。両輪のようにいわれるが、そんなことはない。健康が主導である。何をするにも、何を思うにも、健康が主導なのである。

ここ5日くらい片時も腹痛が離れなかった。下痢も伴った。吐き気もあった。それは堪えた。よくある胃腸炎だ。よくあったらたまったもんじゃないが、よくある胃腸炎に違いなかった。

トイレで誰にもすがれずに悶えている時、立ち上がろうとして頭がグァングァン痛む時。果たして何かしたいとか、何か欲しいとかと望むだろうか。否。望みなどない。ただひたすらに、真摯に、痛みと向き合う。そして、収まることを願う。仮に痛みの最中、目の前に神様が現れて、20回もも上げしたら向こう5年はお金に困らないよ。って言われたとして、するだろうか。できるだろうか。自信がない。もっと踏み込んで、痛みを取るのと、5年お金に困らないのどっちを取るかと聞かれたら、確実に痛みを取る方を選ぶ。

痛みは人をどうかさせるのだ。価値観や望みの類の順序を遥かに塗り替え、最上位に痛みの除去・健康の獲得が据えられる。

考えてみると、拷問とはよくできている。痛みを与え、逃げ道を用意する。拷問する側に有益な情報を話すこと。それが被拷問者にとっては裏切りになる事柄であること。痛みから逃げられるが良心が激しく呵責される道か、痛みに耐えて良心を守る道。どちらかしかないのだ。最低最悪の二択である。どちらにしろ耐え難い痛みが待ち受けている。

腹痛をしばらく経験して、痛みから逃げ続けたいなぁと思った。心から、そう思った。ひどい捻挫も骨折もした。どれもこれも、痛かった。 痛くない痛みは当たり前だがなかった。懐かしい痛みなんて、松田聖子に任せて、僕は痛みから逃げ続けたい。

それでも僕は、それでも今夜も僕は、お腹が痛い。

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