完全に収まったわけではないが、大分よくなった腹痛。ずいぶんつらい思いをさせてくれました。ありがとう。涙の数だけ強くなれるのであれば、相当に強くなったはずだ。SASUKEの完全制覇くらいなら朝飯前だろう。
今年流行っているやら知れない、胃腸風邪。この度時系列でどのような症状が現れたのか、どう回復していったのか、まとめようと思う。
12月7日~違和感~
昼ごろ、どうも胃がシクシク痛むことに気が付く。
何か変なものを食べたろうか…考えてみて、朝食べた納豆とチーズをまぜまぜした代物が思い当る。あーあれか、あれのせいか。どうせ一過性の腹痛か。そんなことを思いながら、特に食生活を考えるでもなんでもなくやり過ごす。
12月8日~勃発~
朝からお腹が痛い。まだ納豆チーズが悪さしているのかとげんなりする。昨日まで胃が痛んでいたのが、なんとなく腸に差し掛かって痛くなっていることに気が付く。と同時にお腹を下しだす。ゆるくなってくる。
仕事が多い日であり、帰社時刻が22時、帰宅時刻が23時を回る。21時を過ぎたころから、皮膚が毛羽立っているような感覚と寒気を感じる。もちろん、断続的な腹痛は抱えたままである。
これは熱でてるなぁって思いながら、翌日も朝早いからとりあえず休むことにする。
12月9日~断念~
起床時にはこれは行けるかなぁなんて思うも、腹圧をかけた時の激痛にさいなまれる。お腹を下すのも、ほぼ液体のような便しか出てこなくなる。胃も腸も痛みが引かない。
出社するも胃痛と腸の痛みが引かない。どうやっても引かない。イブも効かない。脂汗が止まらなくなり、どうしようも仕事ができなくなる。上司に相談し、苦笑いで早退を促される。人生初の早退。
即病院に駆け込むも、流行の胃腸風邪という、日本人で言う「田中太郎」みたいな診断を受ける。しかし薬の処方はありがたかった。
帰宅し、今後は消化のいい食べ物を食べようと努める。バナナとリンゴを牛乳で煮詰めたポタージュを作るも、これが記録的な不味さだった。思い出すだけで胃痛。
12月10日~空白~
一日何もしない。もう、何もしない。
9日から10日にかけてが、何よりつらい峠だったように感じる。3時間と間を開けずにトイレに駆け込んでいた。ワントイレ30分はざらなので、大体トイレにいた。ほぼほぼトイレにいた。便は完全に液体と化す。
日中は睡眠と起床と粗食と投薬を繰り返す。時の流れはカーテン越しの外の明かりとラジオの声で察する。先日中に作っていたあったかいスポドリ(スポーツドリンクのお湯割り)がとてもおいしい。風邪のときはおすすめ飲料である。
ブログ書く元気はあるあたりあざとい。
12月11日~光明~
若干快方に向かう。しかしやはり夜の腹痛と便意はすさまじく、よく寝られない第二夜であった。3時間おきの便器との逢瀬。便器を織姫だと思い込んで会いに行くも、どう転んだってどう見たって便器は便器であった。
何しろ体を起こすとヘンに胃が刺激されて辛い。あくび、咳、くしゃみなんてしようもんなら、横隔膜に巻き込まれた胃袋が悲鳴を上げる。腹式呼吸が大敵である。
この間もちろん会社はお休みしている。罪悪感と不安感が募りまくって、体を起こしたら便意腹痛ダブルパンチノックダウンなんて、わかりやすいコントを繰り返していた。
12月12日~再起~
風邪からの復活を遂げる。
若干の胃の不快感は残っているものの、あくびもできれば腹式呼吸もできるようになってきた。快方に向かい出してからの右肩上がりは甚だしい。これが若さなのだろうか。
出社し、謝罪と後始末に追われた。
丸五日間の体調不良だった。
喉の風邪は慣れていて、対策も悪化する感覚もよくわかる。多少熱があったって、のどの痛みと熱程度の物であればごまかしごまかしやって行ける自信はある。だが今回のような腹痛は別だった。免疫がないのもそうだが、そもそもお腹の痛みは動きが緩慢になる。むしろ動けなくなる。喉元を切り裂いても腹部を切り裂いても、どちらにしても全生命的危機に陥るに違いないが、鈍痛疼痛の限りで言えば、腹痛は限りなくつらい。喉とは比べものにならないと思う。
手洗いうがい、変なものを食べない以外に特段素晴らしい予防法があるわけではない胃腸炎。対症療法に徹することとなる。ウイルスが最大スピードに達する2日間、僕たちは地獄を見る。体内の収支が全く合わなくなってしまう。ひたすら愚直に、水分を取り続けるしか残された道はないのだ。
下痢、腹痛。今後何度となく巡り合うだろうそいつらと、うまくやって行きたい。喉を理解したように、下痢と腹痛も理解してあげたい。
できれば二度と会いたくない。