徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

仕事が憂鬱な日、ポルノグラフィティのアポロに思う

この間、出先でFNS歌謡祭を見た。ポルノグラフィティがアポロを歌っていた。相も変わらず1999年にこの歌詞を書くかと思わされる歌詞だった。

僕らの生まれてくるずっと前にアポロ11号は月に行って、人類の遥かな夢を達成した。それなのに僕たちは太古の昔からの問題である、愛の意味とか愛の理由とかを探している。未だ進歩もせず。答えも見出せず。

なんて秀逸な表現だろう。かつてはっぴいえんどが、「街のはずれの背伸びした路地を散歩してるときに路面電車が海を渡ったので風を集めようと思った」と歌った。訳はわからないが説得力のある表現だなぁと感じるが、アポロにはそれよりもずっとロジカルな強さがある。愛ってなんだったろうかと考えさせられる。

改めてアポロの良さを確認した後で、ポルノグラフィティと自分の関係を思った。彼らがデビューした1999年、僕は小学生だ。つまり16年前の大ヒットをずっと歌い続けている。

当たり前っちゃ当たり前だ。彼らはプロで、アポロをヒットさせたことでご飯を食べている。アポロこそがポルノグラフィティの代名詞であり、世の中のポルノグラフィティに対するイメージの最大公約数である。だから、歌う。

それこそ松崎しげる布施明をみたら、ポルノグラフィティのアポロなんてまだまだペーペーだろう。君は変わったかもしれないが、歌う布施明は何も変わっていない。だとしても、自分が小さな頃からリアルタイムで聞いてきた音楽だからこそ、同じだけ年をとっている感覚になる。アポロを歌い続けるポルノグラフィティが、どんな気分かと考えてしまう。

ポルノグラフィティには他にもたくさんヒット曲がある。最初のベストアルバムなんか、才能の爆発にふさわしい名曲揃いである。個人的にも初めて買ったアルバムがポルノグラフィティだったこともあり、嫌ってほど聴いた。ベストアルバム全曲歌うまで風呂でない縛りの長風呂とかもしていた。

それでも、語られ歌われるのはアポロ。歌番組の度ライブの度の、アポロ。

きっと葛藤もあったのだろう。容易に想像できる。アポロが嫌いになった時期もあったに違いない。それでもポルノグラフィティは、FNSに招待されている錚々たる面々の前でアポロを演るのだ。タモさんの前で、お客さんの前で、アポロを演る。

プロの姿勢だ。まごう事なきプロの姿勢だ。ファンに喜ばれるべく、お茶の間にいつものポルノグラフィティを届けるべく、変わらないアポロを歌う。サラリーマンもアーティストも、変わらない日々を繰り返す一点に限れば大差ないのかもしれない。ひな壇の上か、デスクの前か、現場か、お客さんの前か。場所は違えど、昨日と同じことを同じようにする。オリジナル曲を作るように新しいことにチャレンジする。仕事を拾う。与えられる。

過去の遺産にすがっていると言われようと、すがり続けた先に最先端のお宝が眠っているかもしれない。そいつを夢見て、今日もアポロを繰り返す。僕は僕の、ポルノグラフィティポルノグラフィティのアポロを繰り返す。