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恩田陸「私の家では何も起こらない」感想文 歴史の中で僕らは生きています

読書家でもないけれど、文学部を出てしまっているが故に本好きだと思われているから、なるたけ本を読んでいこうと思う2016。

図書館にて、目線の高さ、手の届きやすい場所にあった本をチョイスした。

 

私の家では何も起こらない (文庫ダ・ヴィンチ)
 

 

恩田陸の作品は度々読んでいたので、目線の高さにいてくれてよかった。

 

私の家では何も起こらない

短編が折り重なっている中編小説。一つのお屋敷を巡った物語。

その屋敷は、端的に言うと幽霊屋敷である。ハリーポッターとか、ああいうファンタジックな世界に出てくる幽霊ではなく、惨殺死体だ餓死だなんだとエグい亡くなり方をした仏様が、ガチンコで出てくるタイプの幽霊屋敷。

物語は屋敷に越してきた女性作家が、幽霊屋敷ハンター的男からの質問攻めティータイムを強いられる話から始まる。幽霊はいないと言い切る作家。どうしても幽霊屋敷であってほしい男。編の最後、男が何かしらの事件に関与していたことと、幽霊の影がちらついて次に繋がって行く。

二編目からは屋敷に折り重なる幽霊たちの発祥を覗いていく。

時系列は飛び飛びだが、それぞれの章で館にまつわる事件が起き、被害者加害者含めた死者が幽霊となって館に住み着く。幽霊が起こす事件も多く、悲劇の連鎖が見事に起きている館である。

結構な流し読みをしたがゆえ各短編に触れられないが、それぞれの物語で起こる事件はなかなかに悲惨だ。人肉を主人に食べさせるために子供を誘拐殺人し続けた女性の話だとか。震える。しかも殺人の方法も人肉をミンチにした挙句の臓器をマリネである。胃袋が変な動きしそうな文章が続いたりもする。

ただ、悲劇的な短編をまとめるクライマックスの章を読むと、本のイメージは変わる。

 

つまるところ、悲劇大量生産型館にまつわる物語を通して、僕たちは途方もない歴史の上に生きているんだってメッセージを作者は伝えたかったらしいと読んだ。

「明らかな幽霊屋敷である館を舞台に、幽霊のせいで少しずつ狂っていく人々。」わかりやすい文脈である。では、僕たちのような幽霊が出ない一般的な家に住んだ者が、幽霊の影響ないし歴史の影響を受けていないとどうして言えるのよと。山のような死者が折り重なってきた地球。日本。なんなら僕たちの家だって、今座っている椅子だって。きっと過去に誰かがその場所で死んでいる。息絶えている。

知らないだけなのだ。

カントがアプリオリに歴史やら悟性があるとしたように、今住むこの場所にも、歴史と死者がいて、影響を受けながら生きているのが僕たちだ。だから歴史は繰り返すし、悲劇も喜劇も繰り返される。

物語の最後、再び女性作家が館に越してくる。最初の作家とは違う人だ。

彼女は自分の家のことを、「私の家では何も起こらない」というタイトルとは裏腹に、あたしたちの家と話す。僕たちが今住む家には、昔僕たちによく似た人が住んでいたのかもしれない。歴史の綾に絡まって、僕たちは今の居に落ち着いているだけなのかもしれない。もはや自分の意志すらも怪しくなる。20年とちょっとの人生など、悠久の時からしたらなんでもないのだ。上司の決定に部下が従うように、歴史の決定には僕らは抗えない。

はて、ホラーらしいざらざらとした読み心地の中に、なんだかきちんと考えさせられてしまった。歴史だとか、哲学のような、とんでも俯瞰をすると、いかに日々自分が些末なことで悩んでいるかがわかって切ない。しかし悩まずにはいられない。シーソーのように振り子のように、微弱な躁と鬱を繰り返す日々です。

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