徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

前田敦子から考えさせられた、モノが無くなる世界

昨日、ラジオで前田敦子が友達とカラオケに行った時の話をしていた。

もうー、2人でお互いの好きなバラードばっかり歌ってー。でー、いい曲だなぁって思ったらー、なにそれなにそれめっちゃいい曲じゃん!ダウンロードしよっ!って曲取ったりしてー。

他愛もない女の子同士のカラオケ風景なのだろう。うむうむ、今日も世界は平和だ。


しかし、厄年の泥沼に足を踏み入れたお兄さんは思う。音楽のダウンロードってここまでポピュラーだったのかと。

なにやら最近はamazonの会員であれば映画も音楽も見放題聴き放題なんてサービスも誕生しているらしい。ダウンロードですらない。図書館にアクセスして、好き放題聴ける見られるってレベルの自由だ。

そりゃあCDなんて売れなくなるわ。当たり前だ。そこら中に音楽が転がって、手のひら耳の中で聴けるというのに、わざわざお家に帰ってCDコンポの前に鎮座して聴く必要なんてどこにもないのだから。音質がどう、空気を伝わってきた音がどうと詳しい方々は言うが、こだわる人などごく少数だ。高品質と便利を天秤にかけて高品質に傾く人などそうそういやしない。


当方、先日初めてネットショッピングをした。実家におせちを送った。いやまぁ、これはお手軽だ。本当に家に居ながらにして買い物ができてしまう。

雨に濡れないように、最強の傘を発明してくれればと雨の日なんかは毎回思うが、世の中はむしろ雨も何もかも遮断する室内、ないしは手のひらの中で全てを終わらせにかかっている。外に出ない進化と、モノを媒介しない進化ばかりが続いている。

いよいよ、あらゆるものがモノとしての形をなくしていく世界が近づいている気がする。僕たち一般人が関与できない場所で進んだ技術が、一瞬で世の中に落とし込まれて広まっていく。蒸気機関のように、インターネットのように。


朝から悶々と考えさせられた前田敦子の軽口は恐ろしい。伊達にAKBのセンターを勤め上げてはいないな。うむ。