徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

すきま時間を全力で使って本日の気分を綴る

いよいよ寒さがやってきた東京。いつぶりかの雨模様、曇天、低気圧。こういう日に気が重いのは生命の摂理なのだろう。二日酔いで出勤した昨日なんかよりもずっとずっと心労だ。朝の筆を取らなかったのもきっと気が重かったからだ。気圧が低くて、体にかかる圧も低いはずなのに、体が軽くならないのは理に反している気がする。教えて、お天気博士。

成人式も終わって、世の中は次にどこへ向かうのだったろうか。節分か。節分だな。働いてみてだが、本当に区切りって大事だ。あの山まで頑張る。あそこまで行けば楽しい。楽しさのアップデートが宿命づけられている。

昨日、振袖や袴の新成人をよく見かけた。彼女ら彼らもきっと昨日を楽しみにしていたに違いない。大学で、会社で、あぁもうやってられっかって事が起こっても、もう直ぐ成人式だ。同窓会がある。人生で一度のワクワクを目指して生きていたに違いない。裏腹に、平然とした暦の廻りからして、誰かの一生に一度や一世一代も淡々と過ぎていってしまう。暦はご丁寧にも日常を拵えて待っていてくれる。

光があるから影があるのか、影があるから光は輝くのか。平日と特別の関係は持ちつ持たれつで、どちらが楽しすぎても、どちらが辛すぎても、待ち遠しすぎても、頻繁にありすぎてもいけないのだろう。


ちょうど1年くらい前、ライブハウスで出会ったたくさんの人たちは、みんなバイトとかライブハウスで働きながら好きなことを好きなだけやっていた。バンドが、音楽が、生活の中心にある人たちだった。彼らの苦労はなんなのだろうか。楽しいだけの毎日なんだろうか。

只管に働く僕らは、とりあえず直近の課題に全力でぶつかる。目標を決めて、それに対するアプローチを考え、実行する。会社のため、部署のため、課のために。それが結果になり、出世になる。ふと、果たしてそれが夢だったのかと思う。目標はあれど夢のない生活。安定飛行への甘え。企業に雇われてしまっているうちは、夢ってなかなか持ちにくい。主体的に動いているつもりが、結局のところ受動に誘導されているのだ。ご褒美も献身も、自分に返ってくるまでには会社って大きなフィルターを通してになる。夢を持とうったって、鳥かごの中の夢だ。伸び伸びとした、それこそバンドマンが描く夢は描けない。

だから、目の前目の前の楽しみを消化していくしかない。何にも代えがたい安定と引き換えに、風呂敷をどこまでも広げることを犠牲にしているのが、サラリーマンだ。ひとまずは恵方巻き食べたい。の前に実はとれてる歯の詰め物をなんとかしたい。



朝の通勤、昼休み、夜の通勤と細切れに書いた文章だった。辻褄合わなかったりするのは愛嬌。