徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

後悔と反省のスパイラル

何度タンスの角に小指をぶつけたことだろう。何度喋りながらご飯を食べて舌を噛んだことだろう。何度自分の身長を顧みずに歩いてふすまの上のところに頭をぶつけたことだろう。学ばないということは、さして大きな後悔をしてはいないということなのだろうか。

ついこの間酒なぞそうそう飲むまいと誓ったばかりだったが、また同じ決意を今朝もしている。

タンスにゴンとか、舌を噛むとか、あんな可愛い痛みではない。二日酔いの辛さ、だるさ、痛さ。世界からアルコールに準ずる飲料が何一つなくなっても別に構わないくらいのルサンチマン的思想に駆られる。後悔と反省の念の強さからしたら、よほどよほど強いはずなのだ。

しかしまた飲む。同じような面々と。同じような店で。同じような酒に飲まれる。先日亡くなったばあちゃんが見ていたら、閻魔様に僕の死後ちょっとお灸を据えてくんないかって吹聴するに違いない。ばあちゃんは酒を飲まなかったし、飲みすぎる人を好きでもなかった。七七日で仏になる前に謝っておきますごめんなさい。

八百万の神唯一神、ついにはばあちゃんにいくら懺悔したところで、この気分は晴れない。


ひとしきり働いた今。前の文との行間には8時間ほどの時間が空いている。

体調は程よく帰ってきた。好調と不調の境目を俯き加減でうろついているような状態。みぞおちをえいやっと押したら、サムシングエルスがプラットフォームにスカイダイブする香りが胃のあたりで匂う。うーむ、すっきりしたい。


更にひとしきりお酒を飲んだ今。沸々と沸騰していたサムシングエルスは臓の奥底に沈んだ。よかった。まともだ。明日の朝はきっと、きっと清々しいに違いない。何しろ日曜日だ。何かいいことありそうな気がする。体調がいいだけで。それだけで。