徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

不意の出来事

天気予報は最近外れない。100パーセント当てるようになるまであと100年くらいかかるとかって10年くらい前に聞いた気がする。しかし現段階でも相当の的中率である。朝起きてはぁぁぁ?ってなることもあまりない。

僕たちは見通しを立て続けて生きている。予定があるように、大体の見通しもある。きっと明日はこのくらいの時間に家を出るとか、帰宅するとか。無意識に日々を推し量っている。
だから、不意が苦手だ。
都会では人身事故に代表される交通トラブルが最たるものだろう。あらゆる予定と見通しが崩れ去る。大体そういうときに限って、目的地が回りこみようのない場所だったりする。あのやるせなさったらない。田舎では自然災害が思い起こされる。雪模様とだけ言われていた日の朝、窓が雪で埋まっていたりするわけだ。平家は埋まり、二階建ては平家になる。源氏にはならない。
今日は穏やかに帰れると思ったらまさかの残業を強いられる展開に陥ったりする夜。今日は残ろうと考えている日と、心の疲れ方が違う。登りきったと思ったらもう一段階段があった時の落胆に似た疲れだ。あるなら最初から主張をしてくれと。催促してやりたくなる。
なるたけなるたけ不意を作らないように、希望的観測をしない日々を送ればいいのだが、そうしたらそうしたで心労が募る。明るい兆しがないのだ。哀しい日々だ。
ポジティブもネガティブも、なんか結局のところネガティブに収まって行く気がする不意な残業の夜。
錦織、お疲れ。