徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

自炊と外食 -食後の満足感について-

昨日、いや、一昨日。迷った末に昨晩は家でなんちゃってすき焼きを作って食べた。

結論から言おう。外食より家で食べた方が食後の満足感は高い。それは特に疲れたとか面倒くさいとかってネガティブな理由で外食に流れかけているときに顕著だ。

理由として三点。量・コスト・移動の三つが考えられる。

 

量から考える自炊の意義

なにしろ自分で作るから必要な分だけを食べられる。外食でよくある、もう一押し感やキャパオーバーが、自炊では限りなく少なくなる。足りなきゃ増やせばいいし、多けりゃとっとけばいいのだ。融通の利くこと利くこと。

特に翌朝ないしは昼に持ち越せるのは非常に大きい。当方弁当を作っているわけで。品数が増えるのはオーライ極まりない。

 

コストから考える自炊の意義

あぁー、自炊にすりゃよかったなぁって、外食後に思う最たる理由は財布の中にある。面倒くさいのせいで出費をしてしまった虚無感。外食の選択肢もそう多くない中、決まりきったチェーン店の定食を食べ、くたびれたお兄さんのありがとうございましたを背中で受けて帰ると、果たしてこの一食のこの出費は正解だったのかなんてみみっちいことこの上ない考えが湧いてくる。均一の味とサービスから染み出るマンネリは、日々のコスパの没落に繋がって行くと思うのだ。疲れによる怠惰から我に返ったしがないサラリーマンの薄給には荷が重い。

 

移動から考える自炊の意義

飯を食べるとお腹に血液がいく。消化したいが故。すると眠くなるのが人の常だ。お昼休み明けに猛烈な眠気が襲うのも、頭に血液が通っていないからであって。生命の節理なのだ。教師よ、上司よ、うつらうつらを叱らないでほしい。

まぁ良いんだそんなことは。

家の近くに定食屋ないしご飯屋さんがあればベストだが、大抵奴らは駅前に店を構えており、駅徒歩〇分がそのままご飯屋さんとの距離になる場合が多い。食べてすぐ行動に移れるほど機敏じゃなしに、少しのんびりしてると、眠気が襲ってくる。疲れてるから外食をしているわけで、追い打ちをかけるかのごとく自然の摂理の眠気がなだれ込んでくる。もう、全部面倒くさくなる。お店から家への距離が、普段の倍にも感じる。なんて不憫な外食帰りだろう。辛い。

 

もはや、逃げの外食はどの角度から見てもマイナス点しかないかのように思える。面倒と疲労の重圧に苛まれての外食は極力避けるべきなのだ。理想を言えば。理想のみを掲げれば。

実際問題、帰り道のカレー屋さんはおいしそうに見える。牛丼は飽きたが、相も変わらず天丼とかつ丼は爛々と魅力の光を灯している。彼奴らのフェロモンを前に、食後に襲いくる後悔と反省を見つめ、誘惑に勝利し続けるのは厳しい。非常に厳しい。

うまく折り合いをつけていくしかないのだろう。時には甘えながら。後悔しながら。