徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

姿勢が人をダメにする

昨日の記事は精神の五分の三くらいが夢の世界ぶっ飛びながら書いた記事であって、全く持って見返したくもない質の駄文だったと思う。多分。

要旨を伝えると、

どうせ一生の大半が仕事で埋め尽くされるんだから、ワークライフバランスがどうだこうだ言う前に恵まれた環境にいる社員どもは働け。知恵を絞れ。

という一文に集約される。

 

昨日の敗因というか、今後人生の敗因になりかねないのが、姿勢だ。

猫背だとか反りすぎだとか、そういった類の姿勢ももちろんそうなのだけれど、家でリラックスしながらもやらなきゃいけないことをやっている時の姿勢をどう保つかで、人生の質が大きく変わってくると思う。

 コタツをお持ちの方は考えてほしい。何度貴重な時間を無用な微睡に奪われてきたか。幸せの極致は自堕落の入り口である。

学生時代の宿題や読書然り、現在のお仕事やブログも然り、ちょっとした瞬間に寝っ転がってやっちゃおーってゴロンと横たわることがある。少なくとも僕にはある。きっと皆にもある。コタツに入らないまでも、うつ伏せで作業をする。

何故そういう愚行をするのだろう。結末はわかっているのだ。どうせ寝る。どうせ寝ることに間違いはない。しかし僕たちは横たわる。悪びれもなく、深く考えることもなく、なんとなーく横たわって、どうしようもない眠りに落ちて行く。

寝るとき以外は横たわらない人間と、僕のような人間では、きっと人生の稼働時間が圧倒的に違うんだろうなと思う。いや、別に損した気にはなっていない。彼らが、やらねばならないことを目の前にしてうとうとする背徳感の気持ちよさを知らないのであれば、むしろ僕の方が得しているのではないかくらいの強気ではいる。

スマートフォンが普及して、ネットにどんな環境でも繋がれる時代が来た。それこそ、寝っころがりながらでも。手の中に娯楽と仕事とが収まるのである。姿勢なんてどうだってでもなってしまう。テクノロジーの机上では便利と生産性が比例するかもしれないけれど、実際のところどうなのだろうと、考えてみたりもする。

今はパソコンの前で胡坐に気を付けの姿勢で書いておるため、おそらく論旨は通っていると思われます。