未だかつて出会ったことがない。同姓同名。ご存知の方はわかると思うが、当方、猛烈にポピュラーな苗字に生まれついている。しかし、未だ同姓同名には出会ったことがない。
パスワードみたいなものなのだろう。例えば12桁の数字がランダムに入って、同じ数になる確率が1/10^12であるからして、どんな背伸びしたってドンピシャなんか当たらないように、名前と苗字の組み合わせもひどく複雑な様相を呈している。
姓名を決めるのは親の役目だ。代々続いてきている苗字と将来への展望を込めた名前を、赤子に授ける。そこから、その名前との恐らくは一生の付き合いが始まる。
画数で吉凶を占ったり、響きを大事にしたり、偉人から取ったり。古今東西さまざまな名づけられ方をしてきた名前だからこそ、もはや未開の地はほぼないだろう。キラッキラの難読ネームは別として。
するとどうだ、自分が子に名付けた名前は、すでに友達にいる名前だったなんてことが起こりうるわけだ。
これを想像するとひどく悲しい。
何というか、手垢にまみれた名前のような気がしてくる。子の名前を呼んだのに、なぜか想起するあいつの顔。そんなの嫌だ。
それを嫌っていると、自分と同世代に流行った名前は決して子につけられなくなる。新しい名前を。古くても、今を生きている人の中でなるたけ少ない名前を授けてあげたい。
これがキラキラネームが生まれていくメカニズムに違いない。
自分もきっと、名前を呼んだときに子供以外の誰を連想することのない名前をつける。だが、難読文字も難読読みも回避したいがゆえ、やはりとんでもなく隙間産業な名前になってしまうのじゃないかと思う。
タケカワユキヒデがかつて歌ったビューティフルネームには、「1人に1つのいのち(名前)が光ってる」というフレーズがある。とても美しいが現実は違う。判で押したようにうじゃらうじゃらといのち(名前)が湧いている。
流行り廃りにも、被りにも動じない鉄筋ガチガチの名前を授けてあげたい。
まずペットとかで練習したい