徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

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春になると小沢健二を聴きたくなる電車内 会社へゴー

春の陽気だ。

杉の木が我先にと子孫を残すべく種パウダーをブンブン振りまき、吸いこんじゃったおっちょこちょいさんたちの鼻腔口腔をボッコボコにする。あぁなんて素敵な季節。故郷にもどうやら春の便りが届いているようで、道という道がダカールラリーのコースのごとく溶けた雪だ氷だで殺人路面を作り上げていると、母が言っていた。

花粉症がどうしようもない人には、春なんて来なければいい季節なのだろう。芽ぶくための犠牲が大きすぎる。

でも、秋で超新星爆発を起こした木々が冬にしぼみ、春また彩りの狼煙を上げる様は窓越しでも綺麗だ。それこそモノクロからカラーへの一大転換が起こる季節が春である。


無性に小沢健二が聴きたくなる。彼が売れた頃の曲のどうしょうもない多幸感が、春に恋しくなる。

100万枚だか売ったアルバム「LIFE」と、本格的な活動を終えた後のアルバム「刹那」。

2枚が今の僕にとっての小沢健二の全てで、どの曲も春だ。ひっくり返ったて冬の歌である痛快ウキウキ通りとかも、なぜか春に聴けてしまう。

たぶん声質とアレンジなんだろうなと思う。

LIFEに関してはブラス全開キラリキラリな音像だ。衒いのないChicagoみたいな音楽である。幸せにならないわけがない。そこに乗っかるフェミニンな小沢健二の声。鼻にかかったそれが音像に不思議と合う。浮いてしまっているのだけれど、それも含めで合う。花粉症をも思わせるからか。どうなのだろう。


南を背にして電車に座り、背中に日差しを受けながらの出勤。なぜスーツを着ているか。なぜ働くか。ヘンに哲学をしたくなるのは会社に行きたくないからか、それとも春の仕業か。

オザケンが耳元で旅に出る理由を訥々と説いている。強い気持ちと愛が心を繋ぐ春を歌っている。

さーて、戦いに行きます。