徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

流れる季節の真ん中からちょっとずれたとこで教訓を反芻する

3月9日なんてタイトルをつけるもんだからレミオロメンは罪なものだ。3月9日というサンキューの日にしかならないようななんでもない1日を特別な日にしてしまうのだ。凄い。

 

唐突だが、ジャズピアノはアドリブがミソだ。というか、知りうる限りのジャジーなシンガーやプレイヤーはアドリブで一曲終わらせてしまうほどのアドリブ力がある。試しにオスカーピーターソンのC JAM bluesを聞いてみてほしい。ソとドしかない曲のくせにメホメホにオシャレになっている。

3月9日。どう考えても変な事でも繰り返し繰り返し全力かつ誠心誠意やると、さも合ってるかのように見えてくるという教訓を得た。

アドリブもそうであろう。答えのない演奏だからして、間違いもない。不協和音が鳴って間違えかと思われども、繰り返し間違えたフレーズを弾く事で、聴衆はそういうものなのだと思ってくる。

 

空気を読む至上主義のニッポンにおいて、バカをすることはなかなかに難しい。「出る杭は打たれる」なんてよくよく考えたらふざけた諺である。どうぞご自由にどんぐりの背比べでもしてたらいいんじゃないですかね。ハハハ。

めげないで繰り返せばミスもミスじゃなくなるように、何度もしつこくバカをすればそれとして認められる。へこたれないで出続ける杭になれば、もう叩くことも疲れて叩かれなくなる。出すぎる必要もない。出過ぎられるほど気合もないから、事あるごとに出る。

 

別にバカをしたくて仕方ないわけではない。バカになることを求めている人がいるのだ。若さと馬鹿さは、韻を踏めているだけではなく、非常に近いところにあるらしい。期待されたらやらねばならん。誰が嫌がろうと、煙たがられようと、出ない杭が圧倒的に多い日本で、出る杭を買って出る人間がおらねばなら

 

歓送迎会で部の面々を前に惜しげもなく裸体をさらけ出してダンシングハーフナイトをかました昨日のお話。