徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

CDを買う理由

昨日仕事帰りにCDを買った。新譜だ。何を買ったかってのと、レビューなんかはちゃんと聴いた後、時間ある時に書いていこうと思う。

CDはもう売れて行かないらしい。散々言われている。CD付き握手券や、CD付きコンサート抽選券と揶揄されるCD。もはやあれに関してはCDというより音楽の価値とはと考えさせられてしまうわけだけれども。

48グループだEXILEだなんだの商法を抜きにしても、CDはTSUTAYAやGEOで借りられてしまう存在だ。DVDやブルーレイも借りられるが、劇場との差別化ができている。迫力とワンタイムインプレッションがほしい人は劇場へ。お家でまったりな人はDVD借りて。DVD・ブルーレイの販売はどんな需要があるのかって言うと、100円一週間なんかじゃ観足りませんな人への需要がある。ずっと家に置いておきたいという人に。

CDを購入することも聴き足りない人への需要を掴んでいるのかと思えば、そんなことはない。DVD等々よりもずっとダウンロードしやすい環境にあるCDは、借りてパソコンに落として手のひらの中というプロセスが誰しもに普及している。だから、4枚1000円で借りてきたCDっていうのはある種半永久的に手元に残り続ける。買わなくたって。

DVDを始めとした映像媒体との比較に戻ってみると、HULUとかDaily motionとかでいくらでも見られてしまうものの、容量の問題もあって映画をバコバコダウンロードしてパソコンに詰め込むとか、携帯に持ち運ぶってことは厳しい。間違いなく音楽ほど手軽ではない。

 

買わずともいつでもどこでも聴けてしまうCD。その購入の意義はどこにあるのだろう。


待ち遠しさだ。レンタルが始まるまで待てない。一足でも二足でも早く聴いてみたい。そんな少年のごとき心がCDを買わせる。

iTunesでも買えるじゃん。

全くその通りだ。でもギリギリCD世代である。CDという形。歌詞カード。ケースから初めてCDを取り出すとき、CDが割れそうになるあの感じ。ジャケットや歌詞カード、CDというモノに代金を払ってでもCDがいい。データだけの方が安かろうと。ステレオタイプとなりつつある考えのもと、CDを買う。


今、縁あって小売に携わっているのだけれど、待ち遠しさは今後ネットショップとリアルの店舗とをうまく共存させる上でのキーワードになるような気がする。

どう考えたって、ネットショップの方が有利な状況下で、リアルが生き残る意味。もはや意味なんてないのかもしれないけれど、あるとしたら、その即時性だろう。

欲しい気持ちと手に入れられるまでのスピード感。ネットショップにリアルが間違いなく勝てる唯一の要因。

果たして、この待ち遠しさをくすぐるのがリアルの使命であり、リアルって選択肢を残し続ける上での鍵じゃないかと思う。後でもいいや。待てるや。と考えた段階でネットショップの方が安くて便利なのだ。

大人になって、どうしようもない物欲ワクワクはなくなってきた。何にくすぐられるだろう。僕は。他人は。


とりあえず靖子ちゃんをヘビロテします。

あ、靖子ちゃんのアルバムです。買ったの。

TOKYO BLACK HOLE

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