徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

スターオーシャン5を買うか否か逡巡して感じた、レビュー垂れ流し現代社会への疑問

スターオーシャン5っつーゲームを買おうか買わまいか悩んでいる。スクエニ傘下、トライエースが世に出し続けているSFファンタジーである。

 

 

 

PS4なぞ持ってもいないのに検討に検討を重ねている。

スターオーシャンシリーズは小中学生時にどハマりした。2と3はディスクに穴が開くほどプレイした。あ、穴は最初から開いていた。

マックスレベルが255レベルという、水の沸点を全く無視したレベル設定。2であれば12人の中から仲間になる人が変わっていく、網状脈のごときストーリー分岐。3であればマリアのグラビティビュレットとエイミングデバイス無双。わかる人にはわかる。友情度、好感度に応じたマルチエンディング。どれもこれもドラクエポケモンデジモンしか知らなかった僕には新鮮だった。近所の友人と二人でスターオーシャンにのめりこみ、二人で語り合った。青春のゲームである。

時は流れて、1と2がリメイクされてPSPで発売されたので、PSPを買って1をプレイした。4はエックスボックスPS3での発売で、ハードを持っていない僕は買うことが出来なかった。そして5である。経済力も身についた今。テレビも自宅にある今。ゲームをむさぼるには十分な環境を手にした。さて、買うか買わまいか。

 

現代人の癖だろうか、大きな買い物をするときとりあえずネットで評判を見てみる。その日のランチだってぐるナビだ食べログだを見るのだ。PS4を買うとかゲームを買うとか、月給の何分の一かを左右される経済的大出血を伴う判断には検索が欠かせない。

スターオーシャン5の評価は散々だった。

カメラワークが悪い、シームレス戦闘の意味が解らない、三竦み(戦闘上の新システム)が全く効果をなさない、ストーリーが短い、希薄、ヒロインは可愛い。スクエニの未来、トライエースの未来すらも憂うレビュー記事が多く見受けられた。

当たり前だが、こういう評価を見てしまうと途端に買う気が失せる。爆発物とわかって書きを近づけるような愚行をしようとと思わない。その昔、ファミ通に代表されるゲーム雑誌と口コミしか情報がなかった頃は、こうまでしてけちょんけちょんの酷評が世に流れることもなく、基本的には自分で買って自分の目で確かめる作業を通して評価を定めていた。しかし、個人的かつミクロな意見が簡単に主張できるようになってからというもの、ミクロがまとまってマスとなり、評価の大勢を決めてしまうようになった。確かに本当の駄作を手に取ることはなくなったかもしれない。しかし駄作レビューを盲信してしまう自分がまた切なくもある。

No.1にならなくてもいいと歌ったスマップ。もう13年前の歌だ。ゆとり世代を移すかのような、競わない美しさを謳って300万枚だかを売り上げた。CDシングルとして、日本最後の大ヒットになった。

レビュー一辺倒の現在を考えると、スマップの謳ったオンリーワンとはこの上なく出会いづらい環境になっている。個人の意見が寄り集まった一つの意見に、僕らは流され、「そうは言うけど僕はこれが好き」という主張は鋼の意思を持たねば貫徹できない。識者の評価であればまだ反論の余地がある。権力には楯突きやすい。だがしかし不特定多数の一般人の評価にはとても抗い難い。鶴の一声より、猿の輪唱になびいてしまう。


例の如く、発売からたった2週間で駄作レビューが山積したスターオーシャン5である。おそらくこの調子でいくと、今後売り上げが伸びることはなかろう。良いものが売れ、悪いものが売れないというわかりやすい構図がよりわかりやすく見えるようになったと取れもする。情け容赦なく、賛美と罵倒が口コミとなって飛び交う。僕はそれらを参考にして買い控える。購入を前にして見限るのだ。もしかしたらオンリーワンのゲームになる可能性も秘めているにもかかわらず。

実家に帰るとタンスの中にたくさんのゲームが眠っている。レビューも知らず口コミも届かない、情報の孤島で買い集めた思い出のゲームたちだ。購入への石橋を口コミのハンマーで叩いて叩いて、結局渡らない昨今。きっと2度とはタンスの中の思い出のようなゲームに出会うことはないだろう。

切なくも感じながら、やっぱり買わない。