徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

「かしこい狗は、吠えずに笑う」を観て知った、映画があんまり好きじゃない理由

映画が苦手な理由が分かった。これは決定的な理由だろうと思う。

「かしこい狗は、吠えずに笑う」という映画を見た。

 

かしこい狗は、吠えずに笑う [DVD]

かしこい狗は、吠えずに笑う [DVD]

 

 

なんだかTSUTAYAに行ったら意味深な陳列をされており、意味深な識者のコメント群の中に水曜どうでしょうの藤村の名前を見つけたので、意味深な顔をしながら借りたのだった。

映画の内容には言及はしない。なにしろ映画が苦手な理由を話そうと思っている訳で、その文脈に映画の内容なんぞ必要ない。あえてメタファーのみで端的に観賞後の感覚を語るなら、スイカを食べ続けて不意に皮まで思いっきりかじってしまった時のそれに似ているだろう。観て後悔はしていない。むしろ皮の味を知れてよかった。

独りカーテンを閉めた部屋の隅っこモニターの前ヘッドホンをつけ体育座り。じいっと世界に入る。映画は止まらない。どんどん進んで、僕の手と想像を離れたどこかまで勝手に行く。もうちょっとゆっくり覗きたいふすまの向こうは主役が簡単に開けてしまうし、もう少し用心して歩いてほしい森の中はずんずん進んで案の定びっくりさせられる。

 

僕は小心者なのだ。

自分の手の中で把握できている以上のことを見るには、相当の勇気を要す。小説ならまだいい。読むのを止めて、自分のペースでページをめくってドキドキできる。映画は待ってくれない。監督の思うペースに巻き込まれないことには世界に入らせてくれない。こちら側のコントロールが何一つ効かない。

ずっと、映画は受け身だからあまり観ないんだって話してきた。能動的に動いていたいんだって。違った。受け身が嫌なんじゃない。受け身が怖い。知らないストーリーを臨場感たっぷりに映し出されるのが怖い。映画に入り込んでしまってびっくりや悲しみを共有するのが怖い。

ホラーでもない、だんだんとザラザラしてくるストーリーの今回の「かしこい狗~」でさえ、後半は顔の前で手を合わせ、片目を隠し、もう片方の目を瞑ればいつでも視界を塞げる状態での鑑賞だった。おそらくこれ以上の刺激物は受け付けないであろうぎりぎりの映画だった。

 

思えばジェットコースターも好きではない。あれも自分の意思とは反して乱高下をする乗り物だ。電車より自転車の方が好きなのも、自分の意思が働く乗り物だからだ。なるほど、小心者故、意思に反されると強い不快感を覚えるわけだ。自意識過剰ではない。自意志過剰だからこそ、僕は映画が嫌いなのだった。