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徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

辞世の句

五七五。または、五七五七七。わずか十七音。多くて三十一音。俳句・川柳・短歌と呼ばれる文学、芸術である。「○○先生の描き下ろし歴史スペクタクル!」よくある上下巻にわたる小説の帯だ。どちらも言葉が紡ぐ点では同じだが、趣が全く異なる。

ファミコンソフトのデータ容量は今の画像一枚の何百分の一だとかいう話を聞いた。ドラクエの壮大な物語も、FFのクリスタルを巡る戦いも、現代の「はい、チーズ」に遥かに劣る容量だったのだ。にわかに信じられないがどうやら本当らしい。悠長にピースしている間に、勇者は世界を何百編も救えるのだ。

日本文化は、足りない中でも工夫を凝らして豊かにしていくのが上手いのだろう。発明は少ないが、小型化やスペック向上などの改良に関してはジャパニーズピーポーは凄いと、誰かが言っていた。技術大国ニッポンたる所以である。

辞世の句にも似たようなものを感じる。

辞世の句で検索すると、wikipediaに数多辞世の句が出てくる。ヤマトタケルに始まり、東條英機に至るまで、形はどうあれ歴史に名を遺したものたちの辞世の句が出てくる。何気なく読むが、この句を残して世を去ったのかと思うと、少しぞっとする。いざ自分が死ぬとき、たった十七音ないしは三十一音に人生を託せるだろうか。後の世に残るか残らないかはさておき、自分の生きた証を凝縮しきれるだろうか。

「旅行に行ってきました!」「卒業しました!」「会社を辞めました!」「東京に行きます!」

フェイスブックには今日も諸報告が並ぶ。色とりどりな写真と悲喜こもごもな文章に飾られて。フェイスブックなんてまだかわいい方だ。昨日もおとといもひと月前も一年前も僕はこのブログのページにその日の報告をし続けている。タチが悪い。

何でもない人生の一ページのこれだけの容量を使っているのだ。なぜ数十音で生命をまとめられよう。明日死ぬよって宣告されたとして、きっとあらゆる電子の海に人生のあらましを垂れ流すのがオチだ。一句に思いを凝縮するなんてことできっこない。

 

The Beatles最後のアルバムで知られるAbbey Road。その6曲目、I want you。

ジョンレノンがオノヨーコへの愛情を歌った曲だ。グル―ビーなビートルズの演奏が聴ける。仲違い真最中の4人とは思えない演奏力だ。

I want youの歌詞はいたってシンプルであって、「I want you」「She so heavy」の二言しか発しない。「愛してる」と「まじはんぱない」の二言しか言っていないのに等しい。日本文化とは遠く離れたイギリスの文化であるが、言葉数の少なさが何よりの説得力を持つと感じる一つのいい例だと思う。難解な比喩よりも、ごてごての装飾よりも、ただヨーコをどうしようもなく愛しているジョンレノンの心がよくわかる。

 

言いたいことは止まないけれど、言葉少なに一つだけの思いを伝えた方が言葉としての力は強くなる。先人たちはその効果を知っていたのかもしれない。

だから辞世の句を残して逝くのかもしれない。