徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

ネットワークビジネスに従事する友人と藍染惣右介

「あまり強い言葉を遣うなよ。弱く見えるぞ。」

とは、みんな大好き週刊少年ジャンプにて連載中の漫画「BLEACH」にて、誌上最大級の黒幕であった藍染惣右介が、氷雪系最強と謳われて久しい十番隊隊長日番谷冬獅郎に投げた言葉である。作者の久保帯人は独特の感性による独特の言葉回しやらキャラクター名やら見開きページやらを作ることで有名で、『オサレ先生』なんて異名を持つのだが、そのオサレ先生をもってして有数のオサレセリフとして名高いのが表題のセリフだ。

 

先日、友達からネットワークビジネスたるものに傾倒している話を聞いた。平たく鞣して言えば、ねずみ講のオサレバージョンとのことらしい。グーグルが教えてくれた。

ネットワークビジネスは危険だとか、良し悪しを語るつもりはない。それでちゃんとお天道様の下で上向いて食べていけるのであれば全く問題はないと思う。お互いの現状報告のような形で飯を食いがてらお仕事の話を聞いたり、扱っている商品の話を聴いたりしたのだけれど、その最中ずっと藍染のセリフが頭の中を巡っていた。

彼の言い分はこうであった。こんなにいい製品が売れない訳がない→リピート率100%→継続的な収入→ウハウハ

彼自身が商品使ってみての感想だから、リピート率100%とかいうお話はさておき、少なくとも彼の中では間違いのない製品なのだろう。しかしどうも手前味噌を大量贈与されると、なんというか、疑う気持ちが強くなる。強い言葉は弱く見えるのだ。なぜ強い言葉を使わないといけないのか。そこを考えてしまう。強い言葉の裏に流れる、負け犬の遠吠え的力の働きを勘ぐってしまう。例えば、親友という言葉にも違和感がある。親友を自称する浅はかさを感じる。号泣もそうだ。号泣しちゃったという報告は、泣いたと何が違うのか。さめざめ泣いた。の方が号泣よりもよほど悲しみに暮れているのがわかるというものであろう。

信憑性と懐疑の境は極めて曖昧だ。だが少なくとも、あまりにも強気で断定的な自称は懐疑を生む。反発も生む。

けれど、営業や販売に従事していると、どうやったって手前味噌を贈らねばならない場面にぶち当たる。どう信じてもらうか。過剰じゃない表現を用いて良さを知ってもらうか。暖簾がでかい会社をバックにしての営業はまだいい。信じてもらえるバックグラウンドがあるのだ。だがそうではない場合、倍々ゲームでその難易度は上がる。劇的に状況は改善されるのです!は疑問をもたれ、徐々に徐々に効果が現れてきます!では興味すら持ってもらえない。何が正解やらわからない。

彼は果たしてこの先どんな営業活動をしていくのだろうか。僕が感じた懐疑と反発は、僕だけのもので、案外広く受け入れられたりしていくのだろうか。


産みの苦しみの入り口の入り口を垣間見て、不労所得が全く楽じゃないものだと知った。楽してカネを稼ぐことをできないと、叔父から教わった。タダより高いものはないと父が口を酸っぱく言っていた。毎日毎日会社に行き、まず2割5分くらい打てるバッターを目指してコツコツ働く日々である。毎日サラリーマンをかじってみてはいるが、大言壮語を吐ける要素は何一つない。だがこの2割5分の日々を続けた先に、トリプルスリーが待っているやもしれない。盲目的な大ぶりでは掴めない何かを掴もうとしているのかもしれない。

身の丈にあった働きをした上で身の丈にあった賃金を得ていこうと思う。

身の丈にあった言葉を使って。