徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

ゴールデンウィークと経済活動 ~ボクはハタラキマス~

北海道は春の嵐だという。毎度、昭和の日だかみどりの日には嵐が来る。オホーツクの陸上は4月29日の記録会で幕が上がるのが常なのだが、29日に上手く記録会が出来た試しがなく、付近に大豪雪が来て、記録会が除雪会になるというのが恒例行事となっている。例にも漏れず今年も元気に暴風雪だということで、まったくもって期待を裏切らないオホーツクの気候に拍手を送りたい。

一転東京はうららかな春の陽気だ。ゴールデンウィークなんていうキラキラウフフ週間を待ち焦がれていた世の中のサラリーマンたちが、家族サービスに自分へのご褒美にと街へ繰り出す。動かない首都高、キャリーバッグで身動きが取れない電車内、大挙して押し寄せる人波に風情をぶち壊されていく各種庭園。きっとディズニーなんて今頃待ち時間を楽しむアトラクションだらけになっているに違いない。人に揉まれに出かけているのかと錯覚する。じゃあ出かけなきゃいい。ゴールデンウィークを家でまったり過ごすのも一興。渋滞に巻き込まれに行くとかバカじゃん。ストレスために行ってるだけじゃん。

 

いや違う。断じて違う。

人が動き、モノとカネが動くと景気が良くなる。摂理である。ゴールデンウィークに踊ることは、まさに経済を回す原動力になっていると同値なのだ。自分が回した経済は確実に自分に返ってくる。お金は使ったら戻ってくるのである。その縮図を僕は美容室で体感している。

今、以前通っていた美容室から独立した人の美容室に通っている。追っかけ特別料金を設けてくれていて、通常料金の何割引きかでカットを受けられる。お得極まりない。本当に仲良くしてもらっているので、よく飯を食べに行ったりする。そこにお金とモノの動きが集約されている。

僕がお金を払う→そのお金で二人で居酒屋に行く→居酒屋のマスターがそのお金で髪を切る

多少料金の過不足はあるが、結果として僕が払ったお金を起点として、僕の髪が短くなり、僕と美容師のお腹が満たされ、マスターの髪の毛が短くなっている。お金を媒体として、サービスの大交換会が行われているのである。

経済の規模が大きくなりすぎて、自分の出費が誰を潤しているのかが全く見えない近年。貯金の虫になり、将来のために虎視眈々とプールしていくのもよかろう。銀行が勝手に運用してくれたお金で、若干なりとも利息が付いていく。だが、貯めたお金より使ったお金の方がどこかの誰かをわかりやすく潤していく。

僕のした単純作業が この世界を回り回って

まだ出会ったことのない人の 笑い声を作っていく

桜井和寿が歌った「彩り」。労働が回している世界をなんとも暖かく歌っている。ちょっと働くのも悪くないかなと思う。単純作業が満たす喜びもあれば、出費が満たす喜びもある。まだ出会ったことのない人の笑い声を、昨日居酒屋に落としたお金が作っていくのかもしれない。浪費は非難されるが、消費は褒められたものだ。労働者兼消費者として、誰かの喜びを作っていこうと思う。そしてゴールデンウィークで大乱舞するみなさん。大いにお金を使ってください。僕の幸せを作ってください。

 

働きます。