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徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

ワナビー

練習が足りないのだろうか。ギターを使いこなせていないのだろうか。機材が足りないのかもしれない。無料ソフトでは限界があるのかもしれない。作りたいクオリティに全く届かない楽曲にほとほと嫌気がさす。もし今コロコロコロっとドラゴンボールが七つ転がってきて、不意に出でよ神龍って呟いて、願いが何でも叶っちゃう状況になったとしたら、迷わず自由に作曲ができるだけの機材を求める。技術は有休が補ってくれるはずだ。

弘法大師は筆を選ばずとも達筆だったという。猫のしっぽでも筆と変わらない筆致だったなんてうわさも聞く。確かに、歴史に燦然と名を残すレベルの大スターは筆を選ばずともある一定のクオリティを保てるのだろう。インギーがその辺の1万円のストラトまがいを弾いても間違いなく上手い。

だが、道具が引き上げる境地も間違いなく存在するはずだ。特に下手の横好きレベルのテクニックを持つ僕のような一般ピーポーが、不意にめっちゃ弾きやすいお高いギターとかを持つとすげー上手くなった気になる。作曲機材も一緒だ。なんでもできる環境があれば、環境に引き上げられるインスピレーションもある。間違いない。

 

今日は頭の中にある演奏をしたくて、ずっとパソコンの前でギターを弾いていた。弾いてはやり直し、弾いてはやり直し。積み重なったのは時間だけで、結局満足いく演奏もできず、音像にもめぐりあえなかった。

本当に虚しい。虚である。虚と書いてホロウと読ませた久保帯人は凄い。このほとほと勘弁してくれって疲労感を表すホロウ。なんという語感の良さか。

こういう一日があると、いっそ自分が弾かないでもいいやって気持ちがまたむくむくともたげてくる。誰か僕の曲を弾いておくれ。僕が到底できやしないクオリティの演奏を、聞かせておくれ。上手い歌、テクニカルなギター、バキバキのベース、乱れないドラム。どれ一つ僕には備わっていない。あるのは切ないほどの創作意欲だけなのだ。

不意に知り合った人が猛烈な作曲家だったりとかしないだろうか。その人の家に入り浸って曲作りなんてできやしないだろうか。人と知り合う以前に、本日会話したのはお昼を食べた定食屋の会計のみである。友達作れっこなかった。

ギターを弾いて少し硬くなった指の先。これが今日一日を生きた証拠である。