徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

タックスヘイブンはどうせ流行語何某を獲る

タックスヘイブンはタックスヘブンではなく、回避地としてのヘイブンであるとの説明を各メディアで散々見かける。パナマ文書なる単語と合わせて、これは流行語を獲るに違いない。ゲスとタックスヘイブンは内定であろう。

タックスヘイブンに会社を立ち上げて税金対策をすること自体に違法性はどうやらないらしい。しかし、倫理的観点からすると、大きな問題が浮上するとのことだ。そりゃそうだ。お金ないから税金上げます!って宣言した一国の長が節税に節税を重ねて数兆円も私財を肥やしていたなんて言ったら、搾取されている側からしたら堪ったもんじゃない。一国の長なんて論外パターンは別として、大企業等の納められるべき法人税が何兆何十兆とその会社にプールされていたとなれば、国が想定以上に損をしていたことになり、間接的に国民を苦しめる。

富めるものは倫理的観点を振りかざすと、貯めてはならないものらしい。個人で猛烈なお金持ちがいたとする。彼がタックスヘイブンを利用して節税を重ねていた場合、潤うのはヘイブンとして使用していた国である。いわば、本人と他国、その国の弁護士事務所等々が儲かるわけだ。もし、お金持ち氏が国内で経費として大消費を行ったらどうだったろう。同じ節税でも印象は全く違う。買い物に代表される消費として具体的なものを通して節税をするか、ペーパーカンパニーを立ち上げることにより節税をするか。ものを通す場合だと、製造者だったり問屋だったりと介在する人間も多い。伴って富が還元される率も増える。貯めないことによる循環を富めないものは望む。だから心情として循環を滞らせるタックスヘイブン利用が、倫理的なる言葉を借りて非難を呼ぶのだ。


だれもがうちの会社は…とかって考えるが、まずそんな富めている会社じゃないので心配は微塵の必要もなかった。

成功の証でもあるタックスヘイブン利用。逆説的に彼らの地位と実力を証明しているようだ。将来の夢がタックスヘイブンを使うことなんていう少年少女と出会ったら、全力で応援したいと思う。