徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

ブログデザインを変更したことから感じた、プログラミング盲目の恐怖

ブログデザインを変更した。かねてより購読させていただいているブログにブログデザインの記事が上がっており、なるほど少し挑戦してみようと前向きな気持ちになったのがきっかけである。そう、至って単純なきっかけである。

 

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グーグル先生とヤフー師範にお声掛けをして、できる限りの知識を持ってデザイン変更に臨んだのだった。プログラム原始人であるため、全く何が何やらわからない状態でのデザイン変更。CCSという欄にコピペをするだけでいい、至極簡単な行為を持ってしてデザイン変更を遂げたのだが、最後の最後まで仕組みが分からずに終わった。

そもそも、あのコードはいったい何なのだろう。プログラムってなんなんだ。{}で括られたどことなく見覚えのある英語の羅列。唐突に現れる「,」何を区切り、何を指示しているのか全く分からない。楽譜を読めない人の気持ちがなんとなくわかった気がした。ピアノ等々と違うのは、楽譜は読めないと弾けないのに対し、プログラミングはコピー&ペーストでどうとでもなってしまう。仕組みも知らないで物事が進んで行ってしまう。

僕は今日、いったいパソコンに何を指示したのだろう。確かに、あのコピペの文字列によってパソコン君はブログの体裁を大きく魅力的なものに変えてくれた。だがそこに僕の意思はなく、誰かが作り上げたプログラムを盲目的にかっさらっただけである。

産まれる前から親睦があった腐れ縁の友人が、プログラミングスクールを開講しているベンチャーに従事している。いつだったか、ベンチャーなる響きになんとなく不安感を抱いている保守派の僕に、彼は語ってくれた。これからの時代はプログラミングだと。今こそプログラミングスクールが需要がある時代なのだと。そのときはほんとにー?って懐疑と猜疑いっぱいのレスポンスをしたのだった。もしかすると、彼はなかなかに先見の明があったのかもしれない。プログラミングの大切さを、逆説的に今日味わった。意味の解らないところで進むパソコン社会の恐怖を感じた。手に職というと、美容師や職人のそれを彷彿とさせるが、これからの時代はプログラミングがそれにあたるようになるのかもしれない。英会話とプログラミングこそが重要事項として認知されていくのかもしれない。

たかだかブログデザインでこのわけのわからなさである。今ペチペチ殴打しているキーボードとリンクしたノートパソコン君には、きっとブログデザインの数百倍数千倍の{}が埋め込まれているに違いない。恐怖すら覚える。

これからを生きるにあたって、少しだけプログラミングを知っておいてもいいかなと感じた。せっかくブログを続けているのだ。こいつをおもちゃにして、プログラミングのイロハのイくらい学んでみようと思う。