徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

午前七時の戯言

朝日が昇るから起きるんじゃなくて

目覚める時だから旅をする

これは吉田拓郎の「人生を語らず」における名フレーズだ。朝日に起こされるような受動ではなく、目覚める時に目覚めて能動的に旅に出る。誰にこびへつらうわけでもなく、自らの意思で。エネルギーに満ち満ちた一節だ。

さて、自らの意思ですがすがしい朝を迎えた。旅に出るのではない、そこには日常となんら変わらない朝がある。インスタントの薄いコーヒーがあり、スカスカの通勤電車がある。拓郎はこの日々すらも旅と呼ぶだろうか。

朝からあーでもないこーでもない逡巡しているのは、昨日の眠気が残っているせいであり、前頭葉の調子からすると決してすがすがしい朝とは言えない。外は雲一つないピーカンの空だが、頭はトンチンカンの上の空である。

今は亡き母方の祖父に、母は毎朝電話をかけていた。彼の晩年のことである。烈火だ火の玉だ龍虎だと恐れられたらしい恐怖政治を敷いていた祖父も、晩年は脳梗塞の影響もあり、のんびり好々爺になっていた。僕も学校が休みだったりしたときに彼に電話をしたものだが、決まってそちらの空はいかがですかと尋ねていた。いやー、曇ってるかい。こっちは晴れているよ。だからなんだと。だからなんだと言われてしまえばそれまでなのだが、何でもないからこそ、天気は何でもない日々を映し出せる。どうせ人類が絶滅しても天気は残る。ある種普遍的なものに対して、ポツリポツリと話を繋ぐことによって、日常が確かにここにあると感じていた気がする。

さて、支度をせねばならない。窓を開けても涼しい風があまり入ってこなくなっている。外気の涼やかさが失われつつある水無月直前の首都東京。

幸せは歩いてこない だから歩いていくんだね

水前寺清子のフレーズが出てきたのはなんとなく水無月の字面に焚きつけられたためだと思う。僕が電車に乗ってたどり着いた先に幸せは待っているのでしょうか。僕の幸せでなくとも。

 

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