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徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

世界史・日本史における、忘れられない単語を振り返る-パート2- テーマ「十返舎一九」

パート1はこちら

 

ktaroootnk.hatenablog.com

 

大した反響があったわけでもない。がしかし、書きたいことを書けている充実感に浸れたので、軽快にパート2に突入。

 

前回は、19世紀初頭に活発だったロシア帝国の南下政策の一環として結ばれた条約、ウンキャルスケレッシ条約について学んだ。ウンキャルスケレッシの響きの面白さはそこそこに、ウンキャルスケレッシ条約が結ばれた背景をしっかりと勉強できた。エジプトの暗躍、イギリスの萎縮、オスマンの抵抗。領土を広げようとする列強の考え方がもろに出ていて、書いていて本当に勉強になる記事であった。

世界史におけるナイス語感単語の次は、日本史にしようと思う。

日本史が世界史に嫉妬したら困る。何しろ日本史は思い出のセンター試験受験科目だ。あの時期、受験生は知識を蓄えまくり、大概が日本史オタクか世界史オタクになる。二次試験で記述問題が出題される大学に臨む連中なんてのは、上辺だけの一問一答だけでない、体系的で深い知識を仕入れる。好きな年代とかを語りだしたら立派にオタクだ。しかしそうでなければ勝ち抜けない受験戦争である。僕は比較的ぬるぬると受験の隙間を縫って大学進学したので、苦しみぬいての大学受験ではなかった。だから音の響きが云々言っていられたのかもしれない。うむ。まぁいい。

 

本日のテーマはこれである。

 

十返舎一九

 

語感

語感もそうだが、まず字面に注目してもらいたい。十なのか一なのか九なのか。数で惑わしてくる。数字が三つも入っている人間なぞ、僕は十返舎一九以外には加藤一二三氏しか知らない。加藤一二三氏に置いては、大概加藤一二三九段」と肩書もセットで語られる点、ある意味十返舎一九よりも上手な気もする。初めて十返舎一九の名を聴いたとき、僕は人物名だとわからなかった。いずれ取り上げようとは思うが、「武家諸法度」となんら変わらない語感。「舎(家・土地)の一割を幕府に返上、九割を私有地として認める政策」なんて言われても、ははぁ…そうなんだ。って納得してしまいそうである。

十返舎一九の語感が印象に残っている訳はもう一つある。日本史が好きな諸君であればお気づきだろう。彼がしたためた大ヒット小説が東海道中膝栗毛であることだ。むしろこちらがメインといってもいい。東海道中膝栗毛東海道中膝栗毛。声に出して読んでみてほしい。この語感の良さに酔いしれてみてほしい。東海道中」部分の頭韻ガチガチ感。個人的に大好きな数学用語「部分分数分解」と同じ印象を受ける、この軽快さ。やはり破裂音による頭韻は気持ちがいい。「部分分数…」においては、最後も「分解」と律儀に頭韻を固めて締めるが、「東海道中…」は違う。「膝栗毛」である。こちらは字面にインパクトがある。意味合いとしては、徒歩での旅。行脚。膝(足腰)を栗毛の馬の代わりにして旅をする意。どうだ、なんて洒落のきいた言葉だろう。本当は東海道中お散歩旅」でもよかったのだ。そこを膝を栗毛の馬の代わりにして…なんて洒落を聞かせて「膝栗毛」。大ヒットの予感しかしない。だがしかし字面は膝に栗に毛である。「栗毛」だけで見れば栗毛の馬を連想するのは難くないが、「膝」が語頭にあることによって、栗毛のセット感が失われ、膝・栗・毛がばらばらに認知されがちだ。なんのこっちゃわからん。

 

人物像

 

散々書いてきたが「東海道中膝栗毛」著者であることでわかるように、作家である。時代は江戸。11代将軍家斉が治めていたころに江戸にて花開いた文化、化政文化の急先鋒が彼なのだ。

十返舎一九の生まれは武家である。町奉行の子として生まれ、姓は重田、名は貞一(さだかつ)。十返舎一九の影も形もない名前で生きていた。一九も父の背中を見て、町奉行となるも、どうしても作家志向を捨てられない。たまたま上方へ転勤することになったのを機に、人形浄瑠璃の「曾根崎心中」でお馴染みの近松門左衛門の弟子となる。「重田貞一」として町奉行をしながら「近松与七」として浄瑠璃を書く生活。副業ブロガーみたいなものだ。

リーマンをしながら夢が捨てられない一九は、町奉行を辞め、再び上京。副業ブロガーが仕事を辞め、フリーランスとかいうフリーターと似て非なる何某になる流れに似ている。

比較的仕様もない人生に首を突っ込みかけていた一九。しかし一九が幸運だったのは、蔦屋重三郎なる人物と出会ったことである。蔦屋は当時の出版業界のエースであり、お抱えの作家のパトロンとなる代わりに作品を生み出してもらい、それで儲けるというビジネスを営んでいた。蔦屋のお眼鏡に適った一九は食客として蔦屋の元に転がり込み、作品を量産する。作家として細々と飯を食うことに成功した一九。そんな中で生まれたのが、東海道中膝栗毛であった。

東海道中膝栗毛の語感以外の部分を僕はほとんど知らない。試しに調べてみた。東海道中膝栗毛といえば弥次さんと喜多さんである。弥次さんと喜多さんの膝栗毛。ちい散歩に近い何かを感じる。二人が旅先で出会う人々との交流を会話メインの文体で描いた作品だそうで、その語り口の軽妙さに江戸の人々は夢中になっただとかどうとか。街の銭湯の話題はもっぱら東海道中膝栗毛で持ち切りだったらしいからすごい。舛添ベッキーも唖然だろう。

先に化政文化の急先鋒が十返舎一九だったと述べたが、化政文化自体が、とてもユーモラスで滑稽なものを許容する文化だったそうだ。江戸時代も半ばを過ぎて、庶民の生活レベルが上がっていた背景もあり、本が売れる土壌もあった。一九の東海道中膝栗毛時代の追い風も受けて大ヒットをかまし、一九は日本初の原稿料のみで生活することに成功した作家であると伝えられている。

 

 

まとめ

 

脱サラして夢を追い成功を掴んだ十返舎一九。蔦屋との出会いがなければ、上方と江戸を町奉行として再三再四往来することがなければ、東海道中膝栗毛は生まれていなかった。成功とは多分に運に左右されるものなのかもしれない。本人の確かな実力と、それを認める権力者。双方がおらねば、のし上がることは難しい。

十なのか一なのか九なのかだとか、膝栗毛だどうとか語っては来たが、甚だおこがましい話であった。十返舎一九東海道中膝栗毛から、人生道中道しるべを学んだ。

 

 

東海道中膝栗毛 上 (岩波文庫 黄 227-1)

東海道中膝栗毛 上 (岩波文庫 黄 227-1)