徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

一重と二重と体調と

僕はかつて一重だった。まぶたの上にはぴんと張った皮膚。よく言えば鋭い眼光。悪く言えば目つきが多少悪く見られがちな一重。体調不良になると必ず二重になり、熱が上がってきたバロメーターとして二重を使っていた。

中学生のころまではばっちり一重で生きていたのだが、なぜだか高校に上がって二重になった。体調悪くもなんともないのにくりくり二重君になったのだった。二重は思うよりも目が大きく見える。少しだけ柔らかい雰囲気が出る。一重の自分よりもええ顔しとるやないか!って二重が好きになった。体調不良と二重とが切り離された瞬間であった。

最近は二重は平常運行なのだが、よく寝た日の朝とかに、一重になっている。すっきり起きて、頑張れそうな気がする朝、鏡の前に立ってみるとどうしたどうした目が小さい。一重である。ひとえに一重。

二重は目が重い。生来二重の人にはわからないだろう。どちらも経験している人間だからこそわかることだ。体調不良時に二重になるメカニズムは知らないが、全身の倦怠感を目の上のだるさが代弁していたころの名残かもしれない。たまに一重になると、人相は悪くなるが目の周りはすっきりする。

 

しかし、最近の傾向として、大睡眠を決め込む日というのはたいてい体調に不安があるか、無意識に体が休息を求めているので、一回りして一重が体調不良を代弁している。

体調のバロメーター、まぶた。お陰さまで、本日一重でございます。先日寄りののどの痛みが華を開こうとしています。あぁ、嫌だ嫌だ。