徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

抵抗

与党と野党があるのは、与党が自由にやりすぎたら独裁政治にずぶずぶと入って行ってしまうから、ある程度の抵抗を加えて、より良い道を切り開いていけるようにするためである。断じて国会で漢字読めますかゲームをしたり、経費で落としすぎじゃないですかテストをしたりするためではない。

ある程度の抵抗や制限は力を発揮するためには重要だ。胸筋が自力では動かない諸君、自らの胸を手で押さえてみてほしい。その手を押し返すように筋肉を動かしたら、胸筋が動くだろう。抵抗が力を生むいい例だ。

たまに囲碁をやるのだが、ルール的にはどこに石をおいてもいいわけで、初手なんかは19×19つまり361通りの手が考えられる。そうは言えど、実際のところ勝つためには大体の目安があり、そこに石置いていくこととなる。初心者が突然361の茫漠たる選択肢を与えられても、どうすることもできないだろう。勝つためのセオリー(制限)があるからこそ、僕らは囲碁を体系的に考えられるのだ。

 

予定も何もない一日が大好きなのだが、すなわちそれは抵抗の何もない一日である。無抵抗な一日。なんでもできる。囲碁のような茫漠たる自由が広がっているのだ。そんな一日は大体、なんにもしないで終わる。午後から予定がある日とかの方が、よほどよほど精力的に動く。それは期限という抵抗があるからで、期限までに終わらせようという具体的なめどが立つからである。

あなたの戸棚の下に眠っているカンパンや缶詰の類。期限が限りなく遠いもの達。それらを消費しようなんて考えが毛頭浮かばないのは、消費しなければならない焦燥がないためであり、すべては期限がない・遠いことに起因する。

 

さて、何もない一日が始まって久しい。もっと寝ていたかったが、何故か機能は気を失うように床で寝ていたため、寝苦しさに目を覚まされた。夏が近づいている。パンツにTシャツで寝ていても寒さは全く感じなかった。

夏が来るまでに。夏が来るまでに。夏をうまく抵抗として何か一つことを成したい。「何か」とか「やりたい・したい」とか言っているうちは何も成せないことを知っている。

果たして今日は何をしようか。一先ず洗濯機を回す。