徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

オホーツク陸上の高体連支部大会が今日あったらしいから、僕も明日から頑張る

昨日今日明日と、故郷では陸上の高体連が行われているようだ。インターハイへ、ひいては、日本一へつながる第一歩の大会である。オホーツク支部の大会があり、次に全道大会があり、全国が出てくる。どんな強い選手でも、今日行われている大会をクリアしなければ、日本一も叶わない。

ほんの6年か7年前に、僕も日本一を目指す輩どものうねりの渦中にいた。甚だそこまで高い目標をぶち上げるほどの記録は持っていなかったが、一生懸命に走っていた。

大学に入って、卒業して、働き出してみて、「オホーツクの陸上競技」という廓がとてもとても小さいものだと知った。東京に住んで首都圏で働いていると、日々の喧騒こそが中心であり、田舎のスポーツが本当に矮小な何かのように思えてしまう。

しかし、当時の僕は何より頑張っていた。頑張っていたのだ。北海道大会なんかで躓かないように、全国で戦っている連中と肩を並べたいがために、一生懸命必死こいて頑張っていたのだった。怪我をした時も、ある種のヒロイックシンドロームに近いようなモチベーションの高さで、半ば座礁しながらも乗り越えた。あの日々を頑張りと形容せずになんと言おう。大学陸上の、義務感と諦めとの板挟みにねじ切れかけた日々は、果たして頑張りと呼べるものだっただろうか。頑張りといえるだけのモチベーションを燃やしていただろうか。今だってそうだ。仕事を頑張っているだろうか。全国に溢れかえる商人たちをライバル視して、肩を並べるべく、蹴落とすべく、全力で頑張っているのだろうか。

頑張った経験がある人間は強いと言うが、頑張った経験に寄りかかる人間は強くもなんともない。懐古の虫になっているだけだ。経験は生かすためにある。後悔は先に立たないが、経験は先に立つ。

頑張るには目標がいる。当時であれば全国の何番とか、何秒とか、至極具体的な数字を追う。頑張ってた当時を思い出して、僕はまだ頑張りたいのだと改めて感じた。何を頑張るのか。仕事か、趣味か。あまりに様々な事項が絡んできて、何を目指したらいいのかわからなくなりがちな社会。仕事然り、趣味然り。期限を決めてやりきることができる人間こそが成功を収めるとよく言う。その通りだと思う。ぐうの音も出ない正論だ。それとなく働いていたが、もっと頑張りたいのだった。

三年間というあからさまに儚い期間で終わる超短距離走の部活動とは違う。死ぬまで続くマラソン大会だ。ガス欠にならない程度に飛ばしたんじゃ、ガス欠にならないまま終わってしまうだろう。エネルギーが切れてからどれだけ粘れるかが400mの神髄なのだ。とりあえずぶっ飛ばしてなんぼ。誰よりもよく知っている。

だからこそ、早めに休む。戦略的睡眠だ。明日は明日の風が吹く

頑張れオホーツクの陸上少年少女諸君。その頑張りは未来の自分をつき動かすぞ。