徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

タイトルって付け忘れがち

平日は100パーセントの割合で革靴をはいているから、休日にスニーカーを履くとその履き心地に震える。革靴は足に馴染むから云々、丁寧に扱えば長く履けるからかんぬん。云々かんぬん達は何と比べて足に馴染み、何と比べて長く履けるのだろうか。考えてもみてほしい。

陸上をやっていた頃、履き心地と足の裏の感覚のみを頼って靴を決めていた。ソールは薄いほうがいい。でもクッションもそこそこ欲しい。試し履きをしたら、店内で少しだけジョグをしてみて、そのフィットの仕方を入念にチェックした。

時は流れ社会人。スーツにネクタイに革靴が普段着である。ジャージ上下にランニングシューズに比べたら圧倒的にお洒落な日々を送っている。仕事着のままパーティにも出られる。出るパーティはない。しかしスーツを着て、なるたけ格好よくいるというのは、精神衛生上非常にいい効果をもたらす。服に使うお金なんてくれてやると思っていた学生時代だったが、服に使い出したら使い出したでなるほど悪くない。立派なオーラをまとっている気になる。端的に言えば、気合いが入る。人は見かけが何割とかって新書が売れたこともあったが、それが真実なら人間の大部分を左右する項目に毎日気合い入れているのだ。健康そのものである。

しかしだ、快適さに関してはからっきしである。特に靴。お前は許さん。次にネクタイ。後で覚えておけ。

革靴は見かけ以外に何かメリットがあるとでもいうのか。フォーマルで格好いいのは承知だ。本当はそれだけで十分なのだろうが、許しがたい。許しがたいこの窮屈さ。一日中立ってたりなんかしたら土踏まずが皆目無くなる。土踏みに退化する。蓄積された疲労がふくらはぎや膝の裏、太ももを貫き、腰を痛める。そんなあなたのためにハイブランドの革靴を勧めたりする靴屋店員。気持ちはわかるしそりゃ高い方がモノは良いのだろうが、僕は革靴の高い安いに言及したいんじゃない。革靴そのものに言及したいのだ。実のところ、いまや当時のランシュー的存在が革靴になってしまっている以上、文句をつけたところでどうしようもない。どれだけ逃げて回ったところで、革靴は僕の後ろをひた走る。革靴に避難号号の火薬便をぶん投げるよりは、スーパーシューフィッターとかに完璧に合う一足をいただいたりした方がより建設的な議論ができることは承知である。承知はしている。

左足の小指。かつて大地を掴み、ハードルを飛び越えていた小指。今は革靴ごときに負けて靴擦れができてしまっている。この傷はいつ癒えるだろうか。革靴への愛を燃やすのは傷が癒えてからになるだろう。

どなたか履き心地の良い革靴をご存知の方は教えてください。切なる願いです。