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世界史・日本史における、忘れられない単語を振り返る-パート3- テーマ「バスティーユ牢獄襲撃事件」

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世界史、日本史ときたら、次は世界史でしょう。

本日のテーマはこれ

バスティーユ牢獄襲撃事件

 

語感

字面を追うだけで意味が解る秀逸な事件名だと思う。バスティーユと名がつく牢獄を襲撃した事件。見たまま聞いたままである。しかし語感は強い。なんというべきか、強い。

バスティーユバスティーユミルフィーユが堕転したかのような邪悪な響き。バスティーユミルフィーユ。天使と悪魔的なおどろおどろしさを覚える。そんなバスティーユは、牢獄であった。邪悪さが増す。極悪非道な罪を犯した何某が収容されている気しかしない。しかしそれを襲撃したという。どれだけ強気なのだろうか。誰がバスティーユ牢獄を襲撃したのかは知らないが、鬼が島に行くとかいう規模の冒険ではないだろう。大したレベルでもないのにバラモスの裏に控えていたゾーマをボコボコにしに行くような、危機的極まりない危うさを感じる。

バスティーユ牢獄襲撃。文字面を考えたらおどろおどろしいが、唱えてみるだけだと、力の入る言葉である。語感だけで言えばバスティーユ牢獄の「頑張ろう東北」感が凄まじい。不謹慎だろうか。

 

概要

ちょっと不気味で強そうで、それでいて力が湧いてくる言葉、バスティーユ牢獄襲撃事件。しかし調べてみると、その概要は血で血を洗うような革命、フランス革命のきっかけとなる大事件であり、歴史のターニングポイントもいい所のインシデンツだった。

時代は18世紀後半。フランスではアンシャン・レジームという身分制度があった。カースト制みたいなものである。第一身分の聖職者、第二身分の貴族、第三身分の庶民。足しても2%ほどの第一身分と第二身分が猛烈に力を持って、税金ダダ漏れ舛添パラダイスをしていたという。そりゃあ98%を占める第三身分も沸々と怒りのボルテージを高めるのは自然の摂理

第一身分と第二身分の納税もしない癖の散財と、外交政策(アメリカへの出資等々)で、いい加減に財布がカラッカラになったフランス。じゃあもう生来のお金持ちやお偉いさんにも課税してもらおうじゃないかと、国王のルイ16世第一身分と第二身分に納税の依頼をする。断固拒否する両身分。凄い心臓である。政治資金でピーチクパーチクいうのがバカみたいな強心臓。

それでは仕方ないと、ルイさんは三部会なる話し合いの場を設けた。各身分の人間が寄り集まって議論しようという会なのだが、圧倒的多数の第三身分も、ごくごく少数の第一第二身分も同数で行われるという、一票の格差も鼻で笑えるような大不公平議会で、第三身分がいよいよご立腹。勢いに負けた第一身分も巻き込んで、「国民議会」なる人民のための話し合いの場を設けたのであった。義である。

焦ったルイさんは議会を閉鎖して国民議会を締め出したが、国民議会は近くの球戯場で引き続き議論続行の姿勢を見せ、憲法を変えるまで議論を辞めない宣言をぶち上げたのだった。これを「球戯場の誓い」というらしい。伝説的な勝利を収めた弱小球団をモチーフにした映画とかのタイトルにありそうである。

国民議会は次第に力を増し、国も認めざるを得ない一大勢力となり、憲法の草案を作りだしていた。一応は国民議会の存在を認めた政府だが、面白くないことこの上ないため、軍の力を振りかざす

第一身分・第二身分側か、第三身分側か、どちらにつくか最後まで逡巡したルイさんは、第一・二身分側を選んだのだった。ヴェルサイユに結集した軍隊。軍隊の力を背景に、財政の健全化に努めていた国民のスーパーヒーロー、大臣ニッケルを罷免。これによってブチ切れた国民議会を主とする国民は蜂起して暴徒化。そうして襲撃したのがバスティーユ牢獄だったのだ。

 

何故バスティーユ牢獄を襲撃したのか。理由は二つあるらしい。

1つは武器がほしかったため。バスティーユ牢獄は牢獄でもあったが、要塞的役割も果たしたため、バスティーユには武器があると庶民間では噂のパワースポットだった。そのためにとりあえずバスティーユ牢獄を襲っとけばそのあと戦争になっても大丈夫じゃんみたいな話だったようだ。

あともう一つは、バスティーユ牢獄に収監されていた犯罪者が政治犯と噂されていたため。これまで追ってきた歴史を見れば察しが付くだろうが、当時、政府にとっての危険思想はすなわち国民にとっての正義の思想だった。正義の思想を掲げて捕まっていった同志を解放せんとの動きもあったようである。

 

バスティーユ牢獄襲撃事件は国民に百人規模で死傷者を出しながらも、群衆が牢獄を制圧。収監されていた者たちを解放して終息した。軍の死傷者は少なかったようだが、権力者たちが暴徒につかまり、惨殺された挙句、さらし首にされたとかなんとか。

同朋を救出するために襲ったバスティーユ牢獄だが、実際は政治犯など入っておらず、武器も大したものはなかったらしい。

しかしこの事件が政府や国王のルイさんに与えた衝撃は計り知れないものがあったため、国民議会を真剣に認めざるを得なくなった。襲撃事件をきっかけにフランス全土で暴動が起き、そのうねりはフランス革命を生むのであった。

 

 

まとめ

 

大多数の国民の不満は怖い。情報収集をウィキペディア等々で行ったのだが、文章からして怖かった。日本でもシールズやらなんやらが国会の前で騒いだことがあった。安保への抵抗だった。現代社会・現在の日本で暴動が起こることはそうそうないだろう。ましてそこから政府の体制が変わったり憲法が変わったりなんてことは首相も考えていないと思う。多分それは国民がそれなりに幸せに暮らせているからなのだろうと思う。身分制度で完全に分けられている土壌があり、自分たちの血税を上のふたつの身分の連中が食い漁っている事実があり、それをとがめない一国の長がいたら、シールズのどんちゃん騒ぎじゃ済むはずがない。

フランス革命を始め、あらゆる反省のもとで今の社会がある。だからこそそれなりに安定をしている。不満はあれど、権力者の首を切って槍に刺して町中を練り歩くほどの不満を国に抱いているかといえば、NOと答える人が多いに違いない。

バスティーユに流れた血が、今の社会を作っている。おいしいミルフィーユが食べられているのも、バスティーユのおかげなのだった。