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「マレーの虎」の存在をを知らなかった僕が心から悔しがった理由

マレーの虎と呼ばれた人物をご存知だろうか。山下奉文と言う。第二次世界大戦中のイギリス領マレー半島を舞台とした戦い、「マレー作戦」において、戦史上稀に見る大躍進を見せた日本陸軍。その司令官として活躍したのが山下奉文マレーの虎である。


山下奉文正伝―「マレーの虎」と畏怖された男の生涯 (光人社NF文庫)

山下奉文正伝―「マレーの虎」と畏怖された男の生涯 (光人社NF文庫)


恥ずかしながら、僕は昨日までマレーの虎とはなんたるかを知らなかった。小中学生で大河ドラマをつまみ食いした程度の知識では、マレーの虎まで学ぶことはできていなかった。

実際、マレーの虎に興味を抱いたわけではない。どうしても山下奉文について知りたいと思ったわけでもない。ただ、普段の会話の中でわからないことに出くわすとものすごく悔しい。漢字が書けないとかはそんなに悔しい思いをしないのだが、史実や物事を知らないと途轍もなく悔しさの炎が燃え上がる。


比喩は会話の中でよく用いられる。日常会話レベルでは、比喩の巧みさは人間性の豊かさにつながっているように感じさせる。二番煎じじゃなく、かつ、誰もが納得いくような比喩を使えると、面白いやつだとか含蓄のあるやつだとかって思ってもらえることが多いように思う。

小中高と、大きな声を出すだけで存在意義が生まれるような、イケメン賑やか集団にいられなかったことや、生まれた環境に大人しかおらず、年の近い子がいなかったことから、これまで僕は一生懸命お話をすることで自分の存在意義を確保してきた。お話のツールとして比喩があり、知りうる知識を総動員した上で、それらしき喩えを当てはめ続けた半生だ。

昨日、大上司とのお話の中で不意にマレーの虎のくだりが出てきた。上司が喩えにマレーの虎を使ったのだ。僕は分からなかった。悔しかったからなんとなく話を合わせた。上司が訪ねた。マレーの虎知ってるの?僕は知ったかぶりをしたことを告白した。上司はマレーの虎のあらましを簡単に説明した。的確な喩えだった。

上司に完敗を喫した瞬間であった。どんなに爪を立てようと、あの瞬間、上司の知識の深さと比喩の的確さにしがみつくことはできなかったと思う。悔しかった。心底悔しかった。マレーの虎を知らなかった自分を悔い、変に意地を張って知ったかぶりをした自らを恥じた。話の腰を折る恐怖と知らない自分への悔恨が混ざり合ってカオスを醸成した。


彼が知らなくて僕が知っていることもたくさんあろう。しかしわかっていても悔しいのである。

どんな比喩にでも相槌を打てる人間になりたいなんていうのはおこがましいことかもしれない。知の巨人になれるほどのキャパはないのは承知なのだが。


次回、もし違う誰かにマレーの虎周辺の比喩をかまされた時、ついていけるようにすることが、当面の目標である。社会人は毎日がテストなのだと、高校の教師が言っていた。まったく、その通りであると思う。苦手を潰し、傾向と対策をした上で、上司という知の壁に立ち向かう。そうしていつか上司となった時に、誰かに壁として立ちはだかるのだ。

知らない比喩をかまされた時に憤怒する部下を持ったらの話だが。