徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

意識高い系朝が生み出す昼の眠たさ

所以のない早起きにこれまでどれだけ苦しめられたことか。眠くてもじっと寝ていられないそそっかしい性分に邪魔をされ、まだまだ寝たりないというのに動き出してますます眼が冴え、昼過ぎにはまた再び眠くなる。イビルスパイラル甚だしい。朝の数時間に対する考え方が相当に偏っているのだろうと思う。朝至上主義とでも言おうか。なんやかんや起床の勢いで起きていられる朝の数時間を全力で動き回って、あとはどんなにへたってもいいようにする。

例えば、待ち合わせまでまだ時間があったとしよう。

電車で20分の場所で待ち合わせ。あと一時間半猶予がある。どうするか。僕は迷わず待ち合わせ場所に行く。待ち合わせ場所を目視確認した後、そこを拠点としながらふらふら時間つぶしにかかる。人によっては家でぎりぎりまで過ごして、普通に電車で間に合うくらいに行く方もいるだろう。全く問題なく間に合ったとしても、どうしても不安なのだ。

猶予があるうちに全力でできるものごとを終わらせると、本当に心に余裕が生まれる。凄い隙間である。GAPのLサイズばりのブカブカ加減を味わえる。余裕がほしくて、前倒しで諸々を消化していきたすぎて、後半大失速を遂げる。悪しき風習だ。通患だ。

均したらきっとしっかり寝てしっかり行動した方がアクティブに違いない。きっとそうだ。わかってはいるものの、何故か起きる必要のない時間に起きて、当然の如く日中に爆発的な睡眠欲に掻き立てられる。不毛ないたちごっこをしている。

休みの日ならいい。寝ればいい。午睡ほどに気持ちのいいものはない。しかし一週間のうちに五日は間違いなく働いているのだ。寝られないことの方が圧倒的に多い。切ないものだ。朝のうちに洗濯も掃除もして仕事に出てきたというのに、生活を支えている仕事が一番眠い。逆説も甚だしい。

さて、例により今日も元気にご飯を炊き、お弁当を作り、ばっちり眠たい。体力ゲージは削られる一方である。