徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

ささくれ、剥きたくなる

ニキビ、潰したくなる。

むち打ち、動かしたくなる。

突き指、曲げたくなる。


無理と無茶をしたいのが我々の性なのかもしれない。どうせ痛いのはわかっていて、どうせ苦しむのは自分なのに、なぜか自らを自らの手で傷つける。さも快感かのように。

体調不良、張り切りたくなる。

これもそれに当たるだろう。なぜか普段以上に元気に振る舞いたくなる。なぜかもりもりご飯を食べたくなる。どうせ拗らせるのは自分だ。他人は知ったこっちゃない。

一昨日辺りからなかなかの腹痛が波のごとく押し寄せてきている。原因はわからない。決定的に悪いものを食べた覚えもなく、痛みがじわじわと忍び寄ってきているような感じだ。夏だというのに手洗いうがいを徹底していたが、大した機能を持たなかったらしい。

いやはや、しくしくしくしくずーっと痛い。片時も休まる暇がない。痛みも疲れるだろうに、こんなに主人を痛ませるなんて殊勝なことである。よく中島みゆきの歌で人々は傷むが、簡単なことではない。傷んでいる人の気持ちになったらほんとたまったもんじゃない。痛みを知った方が優しくなれるとはよく言ったもので、みゆきの歌に出てくる登場人物にすらもシンパシーできるのだから、向かう所敵なしである。

画して、体調不良なわけだが、なぜか食べたくなる。負けたくない。こんな腹痛に負けたくない。

去年の年末、僕は腹痛にダウンした。あの時の痛みに酷似している。性懲りも無く、似たようなウイルスにかかったらしい。あの頃僕は気弱だった。ひどくお腹にナーバスになっていた。病は気からである。これは元気に努めた方が効果的なのではないか。今回の腹痛では、極力元気に普通な振る舞うことにした。から元気である。結論から言うと、無理は禁物だった。から元気は、中身がないからこそ、から元気で居られる。実利の伴った元気はただの元気だ。最高だ。一生懸命取り繕って、プレハブのような元気を掠め取っても、根本的にはお腹が痛いのである。エネルギーも出やしない。摂取もそぞろだ。


目を閉じれば億千の星が広がるかと思い、重力に任せて瞬いてみるも、そこにはただ体調不良時の目の奥のだるさが広がるだけだった。