徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

スマホは脳になり得るか

IoTの時代に足を突っ込みかけているらしいこの頃。高校の先輩で、とっても賢いものづくりお兄さんにこの間数年ぶりに会って話をしたのだが、やはりこのIoTはヌルヌルと世界を変えていくと言っていた。

そもそもの定義がいろいろあるから、これがIoTですっていうのは難しいらしい。ざっくり言うと、物がインターネットにつながっている状態だと。お兄さんが言っていたのが、家を出るときにインターネットにつながった傘があれば、降水確率が高いと光って持って行ってくれと知らせるなんてのもIoTの一つだよねと。なるほど、わかりやすい。

今日の日経にもこんな記事が載っていた。

http://mw.nikkei.com/sp/#!/article/DGXLZO05253090W6A720C1TI5000/

つまり、スマホで鍵の開閉や電気のオンオフをコントロールできるということらしい。リモコンが入要らなくなり、鍵も必要なくなる。全部インターネットを経由して、スマホからアプローチができる。最近は銀行口座の振込とか残高紹介もスマホ、決済もスマホ、確定申告もスマホスマホスマホ。あらかたのことをスマホで解決できてしまう。

逆手にとれば、あらかたのことがスマホとインターネットがないとできなくなってしまう。

このスマホ一極集中型社会、インターネット一極集中型社会が、なんとなく人体と脳との関係にダブった。脳を賢く賢く大事に育ててきた我々は、少し脳を傷つけるだけで途端に機能不全に陥る。何もできなくなってしまう。脳死は死か。という議論からもわかるが、心臓が動けばすなわち生ではないのである。脳がないと何もできなくなってしまうからだ。

スマートフォンとインターネットに全部を託す今の生活は、ともすればその辺のインフラよりも我々をネットに依存させていて、ネットを差し止められると脳死よろしく何にもできなくなる未来がしばらくせずともやってくるのではないだろうか。

別に警鐘を鳴らすつもりもないし、深く深く考えるだけの知的余裕もないのだが、モノと繋がったある種万能のネットに怖さを感じている。

「フォン死」なんて言葉もそろそろ生まれるんじゃないか。