徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

梅雨明けセンチメンタル

関東甲信越で梅雨が明けたという。長かった。長い梅雨だった。思い返せば晴れ間は少なかったかなぁと感じる梅雨だが、めちゃくちゃ洗濯物に困ったりとか、気分が落ち込んだりとか、古傷が痛んだりとかっていう実害は特になく、実に穏やかに梅雨が過ぎていった印象がある。

紫陽花がもう大概萎びきり、向日葵すらも所々では来季への種残しに励んでいるこの頃だ。確かに季節は進み、日は縮み、打ち上げ花火のような一瞬の盛夏をもたらして秋を呼び込む。瞬きの間である。うかうかなんかしていられない。

半永久的なお仕事人生に突入している。何度季節が巡っても、自分から能動的に動かないことには、今の会社でずっと働いているに違いない。それを思うと、たった3回の夏と冬を繰り返して終わっていく中高生という時期がどれだけ生き急ぐかの如き怒涛の3年×2だったことか。全力を捧げた部活も3回の夏で終わっていく。この儚さが高校野球に代表される学生スポーツの人気を支えていることは間違いない。

それなりの学生生活を送っていた人であれば誰しもが思う、「あの頃は良かったなぁ。」「あの頃に戻れたらなぁ。」光陰は矢の如く過ぎていくが、流れ星も燃えかすが美しく光るように、綺麗だと思った瞬間にはすでに綺麗の根源は燃え尽きてしまっている。2度と戻らない。

何度も同じ季節を繰り返せてしまう大人たちは、渦中に居すぎて学生生活の尊さを知らないであろう学生たちに「今が1番いい時期ねぇ。」と言って、もっともっと生き急いで青春を謳歌しろと教える。学生たちはそれをわかったようでわからない。なんとなく楽しく過ごして、十数年後に、やっぱりあの頃は良かったなぁとつぶやく。そして大人たちは、青年時代や中年時代を振り返り、あの頃も良かったなぁと言いながら年老いていく。常に常に、今が1番楽しく、1番苦しいのだろう。苦しみのアップデートは旧ソフトウェアを美化していく。便利な機能だ。

次の梅雨が明ける頃、今年の梅雨のことをどう呼ぶだろうか。これから何度梅雨に打たれ、何度梅雨が明けるだろうか。

露ほども知らない。