徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

世界に一つだけの花とオンリーワンを再考

スマップが解散するにあたって、彼らのCDやらをもう一度買う動きが出てきているようである。特に、「世界に一つだけの花」の伸びは顕著だという。

ゆとり世代を彩る歌として物議を醸した世界に一つだけの花ナンバーワンよりオンリーワン。どんな花も綺麗で、どんな花も比べようのない良さを持っている。ぐうの音も出ないほどに美しい主張だ。ちょうどゆとり教育云々と騒がれていた頃合いなものだから、オンリーワン主義にゆとり教育の残像を見た大人たちがあーでもないこーでもないと論を展開したのであった。

オンリーワンを語れる、自己満足出来る心情は、おそらく三つに分けられる。

諦念と常勝と逃走だ。

諦念は競って負け、自らの力量を知った後に起こる感情だ。やれるだけの努力をし、それでも上には上があり、どう背伸びしたってジャンプしたって届きようがないと悟った時の、オンリーワン。

常勝はその反対で、トップにい続けた場合。誰と競っても勝てる。心身ともに充実している瞬間(上に上がいたとしてもそれをまだ肌感覚では知らない時期)に、オンリーワンを目指す。すでに認められたものの、自己の満足を得られていない状況。

また、逃走は競わない。他を気にせず、自己の負担にならない範囲で努力をし、満足を得る。戦わなければ負けない。詭弁のようだがそれは真実で、自己満足が相当の充足感を運んでくれる限り、僕らはオンリーワンで生きていけてしまう。


世界に一つだけの花がぶうぶう言われたのは、きっと逃走的オンリーワンに焦点が当てられたからであろう。とかく努力をしなくなりがちな逃走に対する嫌悪。確かに、得てして逃走は努力が怠慢になる。自己完結の幸せは、勝負をしている人から見るとあまりにチープに感じるのはよくわかる。

しかしあの歌で言及したかったのは前者二つのオンリーワンだったのではないかと思うのだ。

花屋の店先に並んだいろんな花。自分の花を咲かせるために一生懸命になる。頑張って咲いた花はどれも綺麗。

どれ一つ努力をしないでいいとは言っていない。競わないでいいとも言っていない。競って負けた人や競い続けて勝った人に対する応援歌が、世界に一つだけの花だ。負けて散った後の口惜しさ、勝ち続ける辛さ。それらを救済するには、自分にスポットを当てるしかないのである。

花屋の店先に並べない花がたくさんあるのを承知で、並んだ花の中で優劣がつけられてもオンリーワンだから気にするなというメッセージ。槇原敬之ないしはスマップが歌ったのはそういうことだと思う。


努力は辛い。競うのもしんどい。階段とエスカレーターがあったらエスカレーターを選んでしまうように、ぼくらはどうしても努力をしない道を選びたがる。また、努力をしない解釈をしたがる。もちろん頑張らなくてもいい場面はたくさんある。むしろ頑張らなくていい場面の方が多いかもしれない。しかし少ないながらも頑張らなきゃいけない場面は必ず存在する。その場面。その時。戦う前からオンリーワンを標榜してはいけないのだ。頑張らなくてもいいが液漏れしてはいけないのだ。それは世界に一つだけの花の都合のいい解釈で、努力をしない前提で議論を進めちゃいけない。


そうはいっても、半生を顧みるになかなかの逃走的オンリーワン人間である。どうやら自己満足の沸点が著しく低いようだ。

どさくさ紛れで頻繁に世界に一つだけの花を聞くようになり、半生を反省しなければならないと銘じた。