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徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

YMCAが僕は嫌いだった。

YMCAに未就学児の頃通っていた。

YMCAとはこういうところである。

http://www.hokkaido-ymca.or.jp

西城秀樹が声高らかに歌ったヤングマンとは一線を画した、ちびっ子元気っ子ようこそ集団である。はしゃげばはしゃぐほど評価を受ける。跳び箱鬼ごっこ鉄棒が其処彼処で行われる。遊ぶの大好き運動大好き少年少女のユートピアだ。

僕は本当にYMCAが嫌いだった。YMCAが天竺に行く道中にそびえていたら、秒速で天竺到達を諦めるほどに嫌いだった。斉天大聖?知るか。

ちびっ子ながら、同じちびっ子達が狂ったようにはしゃぎまわっている状況に引いていた。なぜそこまで脳みそのネジをぶっとばせるのか。自らカオスを醸造し、そのカオスに飛び込んでいくような所業を、何故できるのか。全く理解ができなかった。怖かったのだ。決しておとなしい方じゃなかったが、全て頭の中で物事を組み立てられないとなかなか一歩を踏み出せない性格な故、てんでバラバラ濁り酒のごとく不透明な遊び場の状況が怖かったのだ。

一度でもネジを外していいんだなと理解出来れば、元気に遊びだしたのだが、毎度気圧され、毎度打ちひしがれ、やっと慣れた頃にさようならというサイクルを繰り返していた。何しろ本当にYMCAが嫌いだった。

送迎バスに乗るふりをして猛ダッシュで家に帰り親を締め出したこともあった。親の車で送られている最中にどうしても行きたくなくて「ウルトラマンのカラータイマーの材質を研究しなきゃいけないから帰して!」ってどこまでも知的な言い訳をかましたこともあった。そんな嫌がる困ったちゃんにも、幸か不幸かYMCAは熱い抱擁と寛大な態度で迎え入れてくれたのだった。


電車の中で、日曜日の朝に大はしゃぎする幼児を見て、僕は無性にYMCAを思い出した。この子達なら、あの過酷な生存競争に勝ち残っていけるだろうか。淘汰されずに済むだろうか。僕は結局、3歳から1年だけYMCAに通い、ドロップアウトして別の幼稚園に行った。親父の母園でもあったその幼稚園は楽しかった。カオスの中の何かではなく、1人の人として見てくれている感じがした。

僕が体育会というYMCAをも凌ぐカオスの沼に自ら率先して足を踏み入れる15年前の出来事であった。