徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

ギターとフリースタイルラップと日常会話の癖について

たーくさんギターを弾いてはみるものの、手の動き方は一定である。ある一定の動き方は弾き続けることによって物凄く滑らかになるものの、それ以外の動き方を強要されると途端に動きが鈍くなる。これは、癖である。これを、癖と呼ぶ。

癖。恥ずかしい時に鼻を掻く。癖。靴は左から履く。癖。鼻の穴をほじってしまう。癖。

一番目立つ癖はなんだろう。ギターの手癖なんてコピーされまくるレベルのミュージシャンじゃないと目立たない。じゃあ目立つ癖は。ええ、口癖です。

だれしもが口癖を持っている。どんなに頭のいい人だって、ボキャブラリーが豊富な人だって、口癖はある。それは、とっさに出てくる「まじか」とか「ほんとに」とかの間投詞的に使用してしまう癖の類から、かの有名な「ガンジーが助走をつけて殴るレベル」のような表現法の類まで幅広い。

僕らは日々膨大な量の情報に対峙し続け、処理しているふりして大して処理をしていない。一度一生懸命飲み込んだ種類の情報にはめっぽう強いものの、初見の情報を読み解くのには恐ろしい力を使う。癖も同じで、一度アウトプットし慣れてしまえばいくらでも使えるものの、初回のアウトプットまでが大変なのである。楽器もたくさんの癖を身につければアドリブ魔人になれる。体を前に速く運ぶ癖をつければ、俊足ランナーになれる。

近頃はやりだしたフリースタイルラップもそうだ。「わかってんだろ?」「わかりますか」「Hey yo!」「まるで○○」「だけれど」「だけどもちろん」歴戦のフリースタイラー達にも一人ひとり癖がある。延長に次ぐ延長になって言うことなくなった時に突然何か特定の言葉を発しまくる人は、その言葉が口癖である。

ごく個人的に、日常会話をいかに面白くするかというのに日々凝っている。誰しもがわかる絶妙な喩えをしたい。コテコテに凝った表現をして雰囲気だけで笑わせたい。正直、一瞬のひらめきで面白いことが言える可能性は実に低い。素人が誕生日の数字で競馬賭けて当るようなものである。まず当たらない。だからこそ、日々癖を増やさねばならない。一般に面白いと思ってもらえるような節回しを癖にし、なんとなく面白そうな表現がとっさに口をつけるように、日々アンテナを張って、この表現使えると思ったらそれとなく頭の片隅にメモをし、ゆっくりしゃべれるような相手との会話の中で試しに使い、慣らし、平常運航ダイヤに載せるのである。

毎日部活をやったり、毎日練習したりする理由は、すべて癖づけるためだ。たとえ日常会話でも全く変わりない。どれだけ気の利いた洒落を言えるかとかは、日々の練習である。面白くない人などいない。会話の努力をしていないだけ。それだけなのだ。

 

さんま御殿を見て、明石家さんまがどれほどの癖を持っているか感嘆した。

ああなりたいものである。しかしどれだけの努力を彼がしたか、甚だ計りかねる。