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徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

全く体系的でないRADWIMPS評

新海誠氏の最新作、「君の名は。」が公開された。新海誠さんの作品は「秒速5センチメートル」を、150センチメートル進む分くらいに区切ってあるCMを見ただけだ。切なさを受注生産する作風である程度は知っている。

その「君の名は。」の主題歌を歌っているのがRADWIMPSである。「前前前世」なる快速爽やかチューンを書き下ろして、当てがってくれている。


RADWIMPSとの出会いは中学生のころだった。音楽好きだぜ系友人がJ-ROCKを聞き出し、その影響を受けて僕の耳にもRADWIMPSが入ってきた。ORANGE RANGEBUMP OF CHICKENとほんの少しRIP SLYMEが支配していた僕の脳内に、RADWIMPSは小さくない波紋を残してくれた。RADWIMPSを最初に友人から紹介された時、僕はRAG FAIRのことだと思って、何今更アカペラに心酔してんだこいつって理解を示さなかったが、普及しだしたyoutubeを開き、RADWIMPSを聴いて、自分の中の音楽の新たな地平が広がった気がした。RAG FAIRとは全然違ってた。

確か「いいんですか」と「有心論」を最初に聴いたはずだ。J-ROCKのお手本のようなバンドサウンドと、聴いたことのない言葉の乗せ方の歌を聴いて後、しばらくはRADWIMPSばっかりの日々であった。今思うと、レッチリとか、オアシスとか、向こうのロックやミクスチャーの要素を含んだ音楽に造詣が深ければ、RADWIMPSはそんなに衝撃が走るようなバンドではないのかもしれない。だが僕のような洋楽素人からすると、RADWIMPSは格好の音楽入門書であり、ハマるだけのポテンシャルを持ったバンドであった。


とにかく言葉のリズムの取り方に感動したのを覚えている。いわゆるフロウだ。「いいんですか」を初めて聴いたときのびっくりは忘れられない。


大好物はね鳥の唐揚げ 更に言えばうちのオカンが作る鳥のあんかけ

でもどれも勝てない お前にゃ敵わない

お前がおかずならば俺はどんぶりで50杯は軽くご飯をお代わりできるよ

だけども んなこと言うとじゃあやってみてとかってお前は言い出すけど

それはあくまでも例えの話でありまして だどもやれと言われりゃ

おいどんも男なわけで 富良野は寒いわけで お前が好きなわけで ちょびっとでも分かってもらいたいわけで

ちなみにおかずって 変な意味じゃないんで 嫌いにならないでね


1番である。えらい長い。しかし、きちっと脚韻は揃えられており、とても聴きやすい。

「大好物はね〜鳥のあんかけ」は「ね・け・げ」、「でも〜敵わない」は「ない」、「お前が〜言い出すけど」は「も・と・ど 」、「それは〜ならないでね」は「で・ね」。ガッチガチに韻を踏んでいる。この韻の硬さは歌い方でも主張されており、脚韻を踏むまでの言葉というのは非常に早口である。5連譜とかでタカタカタカタカ歌う。強弱、緊張と緩和がうまく混在しているのだ。

近い歌い方として、小沢健二が挙げられるが、タカタカと連譜を刻む言葉の使い方は似ていても、彼は頭韻を踏む。頭韻は日本語文化の最たるもの。そのため、小沢健二の方がより日本語らしく聞こえ、RADWIMPSは英語っぽく、外国語っぽく聞こえる。「日本語を外国語っぽく歌うバンドサウンド」というジャンルの中で、RADWIMPSは地位を築いていった。


よく比較されるBUMP OF CHICKEN。似ているのは歌詞の内容である。どちらも青少年ないしは同世代の痒い所に手が届く歌詞を書いて支持を得ている。言葉の揚げ足をとったりするのが両者ともにうまい。その他の親和性は大して無い。BUMPは韻なんて気にしない。メロディと歌詞が主戦場である。フロウをどうしてもつけたがるRADWIMPSとは別枠だ。

歌詞の内容も実はよく聴けばささやかな違いに気づく。BUMPは、生とか努力とか苦労とか、特定の対人関係ではないことに対しての哲学を歌う。特定の主語は使わず、何かの比喩として世の中を風刺したりする。対してRADWIMPSはごくごく個人的な哲学を歌う。特定の対人関係を、非常に具体的な言葉や数字を持ち出して歌う。同じ調理器具を使って世の中のマクロを料理しているのがBUMPで、ミクロを料理しているのがRADWIMPSと考えたらいいかもしれない。どちらにしても思春期に悩むような事案の道標になってくれる言葉が並ぶので、両者ともに中高生のバイブル的存在に君臨している。

音楽的にはきっと、RADWIMPSマキシマムザホルモンと近い。邦楽有名どころでいえばだが。RADWIMPSレッチリの延長で、マキシマムザホルモンメガデスの延長で同じことをやっている。レッチリメガデスもよく聞いたことはないが、きっとそうだ。


中高生のころ、哲学的にも音楽的にもRADWIMPSに多大に引っ張られた。哲学の部分では大分自らを取り戻したものの、音楽の方では未だにRADWIMPSの影響は色濃い。どうしても韻を踏みたい病はもちろん、多分メロディのつけ方はRADWIMPS仕込みになってしまっているだろう。哀しいかな。

音楽としては中々高尚なものな気はしているRADWIMPSだが、洋楽好き諸君からの二番煎じ的な目線や、中高生メンタルをいち早く卒業した人たちからの冷ややかな目線に負けて、好きだと公言しづらいアーティストではないかと思う。同じくらいスピッツが好きだったらスピッツが好きな旨を公言してしまう。


RADWIMPS1からRADWIMPS4という大傑作アルバムを4枚リリースしてから早10年。人気アニメーターの最新作のタイアップなんていう、初の大仕事が今やってきて、RADWIMPSに少なくないスポットが当たることを、ささやかながら嬉しく思っている。彼らは洋楽を起源とした邦楽を歌ったが、今やRADWIMPSを起源としたJ-ROCKが世の中に溢れている。結果として現代J-ROCKシーンの草分け的なアーティストとなったRADWIMPS

未聴であれば一度聴いてみてもいいかもしれない。語気は強められない。恥ずかしいから。