徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

MDノスタルジック

家の中で探し物をしていた。飛行機のチケットでポイントをためなければいけないのだが、日々の喧騒と怠惰に任せて放っておいたところいい加減期限が来ることに気が付き、果たしてどこにやったのか探していた。そうなると、大体が一気に掃除をしてやろうという気持ちになる。一掃して出てこなかったらそれまでである。でてきたらラッキーだ。副産物で部屋がきれいになるのなら、出てこなかった結末だって快く受け入れられる。

黙って掃除するのは嫌だから、何か音楽を聴こうと思った。僕の部屋にはコンポがある。最近は耳元で音楽を聴くのが世の主流になっている。せいぜい携帯からスピーカーに音を飛ばして聴くくらいである。そんな時代に中指を立てるがごとき、KENWOODのCD・MDコンポ。テレビでは毎日焼き増しのニュースしかやらない。飽きが来たころにCDをかけて一人でふらふら踊ることが間々ある。

部屋の掃除のBGMを選んでいた。CDは散々聴いたものしか残っていなかった。さぁどうするかなとタンスをガサガサやっていると、ゲームボーイのカセットに紛れてMDの鉱脈にぶちあたった。

MD。ミニディスクの略なのだろうか。小中学生のころ、僕の音楽の主戦場はMDであった。友達から借りたCDをたくさんMDに突っ込んで、自宅のコンポで何でもかんでもよく聞いていた。何年か前に上京してきたときに大量にこっちに持ってきたようである。大して聴かないままタンスの肥やしになり続けていたMD群。たまには聴いてやろうかとコンポに突っ込んだ。

コンポはコンポで、そこそこの老コンポになっており、機嫌がいい時じゃないと読み込みをしない。ファミコンのソフトを読み込ませるがごとく、コンポの中に息を吹きかけたりなんなりしてご機嫌をうかがい、何とかMDを読み込ませることに成功した。

CDとは違い、MDはラベルに何かヒントがないと中に何が入っているのかわからない。なんとなく見覚えのあるMDのデザイン。その中に何が収録されていたのだろうか。ドキドキしながらMDのロードを待つ瞬間の愛おしいことといったらなかった。どれも聞き覚えのある曲で、しかしどれもうろ覚えの曲であった。一昔前に、僕自身がきっと一枚一枚アルバムをMDのなかに収録していって、一度ブラックボックスに入れてわからなくしたものを一つ一つ丁寧に広げていった。ノスタルジーが音符になって波のように押し寄せてきた。アルバムを丸ごと焼いたものもあれば、自主編集で色々なアーティストの曲を突っ込んだものもあった。賑やかな曲の後に大人しい曲が流れたり、きっと自分なりにいろいろ考えて曲を入れていたんだろうなと思う。心地よい恥ずかしさを伴うMD解体作業であった。

しばらくMDを聴いたのち、あっさり航空券は見つかった。ポイント交換機限は過ぎていた。